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つれづれ!『光る君へ』22回

越前編、火サス展開でございました。その割にあっさり解決してえええっ!その展開?!となりましたが。(余談です)

まひろさん、越前に行って肉食女子になってます?積極的に話しかけまくる…(私の中ではいまだ、まひろと紫式部がつながらぬ)
てっきり周明がぐいぐい来て友人になるんだと思ってました。
お、宋人たちは香料を持ってきてますね。沈香、甘松、丁子、甲香、桂皮、陳皮、などなどなどなど。
沈香は新しく輸入されたものより、古く家に伝わるものの方がものがいい、と光源氏が語っていましたが、それでいえば今から見ればどっちもいいから早くお出しよ!という気分。
でも、金5袋くらい渡さないと譲ってくれないとか(涙)
宋人チームとのパーティに普通に参加するまひろ。さすがの高階貴子だってびっくりでしょう。この行動力を道隆邸でやっていたら、ききょうじゃなくてまひろが定子の女房にふさわしい、と思われていたかも。歴史が変わったかもしれません。
とはいえ、よく考えてみればまひろさんは三郎との出会いからとっても積極的なのでした。
越前に行った紫式部が為時の手伝いをガンガンしていましたが、まあ、実際にそんなわけはない。(ていうかあんなぷらぷらお姫様が歩いてちゃだめ。まあとはいえ、それではドラマになりませんからね。)安楽椅子探偵だって平安時代の史実の姫よりは動くでしょう。(たぶん)
まひろさん、またもや道長に手紙書いていましたが、道長のこと信用しすぎじゃね?あいつ、こっから全身全霊で定子をいびるぜ。
それはともかく、あんなにいっぱいお手紙書いたら勘のいい倫子にバレちゃう。

そういえば、為時が周明に鍼治療をしてもらっていて、こわい!ときゃーきゃー言っていましたね。じつは「医心方」という日本最古の医学書が984年朝廷に献上されています。「医心方」はなんと全30巻あり、鍼治療の医師である丹波康頼が選者になっています。これがすごくて!30巻のうち27巻は平安時代の本が今も残っていて、内容は唐から渡ってきた医学書の写しなどが主。「源氏物語」も「枕草子」も本人が書いたほんとの原文、とまではいかなくても平安時代に写されたものは残っていないわけですが、これは残っていて、文献学とか国語学とか、書道史学とか、とにかく大変貴重なんです。
なにせ、大陸では割と王権が交代する際にすべての書物を集めて燃やす、という風習があって、その度にいろいろな文化や文書が失われてきたんです。(そこで残っているものはすごすぎる!例白居易・王義之)これはちなみに野蛮、とかそういうことではなくって、やっぱり大陸は多くの民族があるから、王朝が交代する、ってことは文化ががらっと変わるということで、そのためにすべてを一旦更地にする、ということが必要ではあったといえるようです。良し悪しはともかく、としてです。だから為政者は前のものを残せない、というしくみがあります。島国であることと、国土も山が多かったり、湿地が多かったりで大人数で民族移動!とかしずらい土地と大陸は大きく違ってくるんだなあ。
とにかく、「医心方」っていう本はそんなこんなですっごい貴重なんです。なんとなくぱっとみた雰囲気ですがゆず湯が体にいいとか、梅干しと昆布茶で帝の体調不良を直したとか書いてあるっぽい。(超てきとうな意訳)
というわけで、博識なまひろですから、鍼治療のことは知っていたにちがいないよね、とおもいます。

さて、本編に戻りまして、伊周が病気の母が心配で帰ってきちゃう、というのはほんとです。そして、失意のうちに貴子はなくなってしまいます。
それにしてもさ、伊周お母さん付きで大宰府行くとかいうけど、定子にもお母さん必要だなとか思わなかったのだろうか。まあいいけど、
帝の子を身ごもっていると公表するのはこの時、としたんですね。道長の衝撃が伝わってきていいですね。
ちなみに定子が内裏を出てから有力貴族がぞくぞく一条天皇にキサキを入内させています。詮子が「だれがいいかしら?」と選定していましたが。あ、倫子もいっちょかみしてたんだっけ。
道長はほんとうに女性に恵まれているよなあ。倫子も明子もすごい女性だし、詮子だって、道長のことを何かと引き上げてくれる。そして、娘の彰子だって。この中の誰が欠けても道長の地位は築けていないわけですし。
明子、そんな好きになる相手なんだろうか。人は変わるといいますが、道長お前も変わるからなっ!

話しは変わって、一条天皇と定子のほうにいきましょう。天皇は一人を愛してはいけないのですが、(子孫を残す、もそうだし、朝廷の権力バランスを考える、もそう。一方だけに肩入れしてはならないのですね)この「定子を愛する」という行動は今の私たちから考えると「切ない」とか「美しい」とかといった(ちょっと違うかもしんないけど)ポジティブな文脈で語られますが、当時はかなり批判的にとらえられていました。それは『源氏物語』の「桐壺」を見ればわかるんですけれど、天皇が愛してもしょうがない(後ろ盾のない)女性だけをひたすら愛してしまった時、どういう反応だったのかが書いてあります。紫式部が『源氏』を書いたとき、このふたりのことを意識しないわけないよね。読者ももちろん意識せずにはいられない。
「玄宗皇帝と楊貴妃の件を思い出すまでもなく「とんでもないことだ」と言い合った」とまで書いてあるんだから相当です。
2人の愛し合い方は常軌を逸していたかもしれないけれど、これが国家を脅かす罪である、とまでほのめかされちゃあね。
そうするとよけい好きになっちゃうよね。

「鈍色」の衣服を着る中宮とききょう。
当時の喪を服す時は鈍色のものを着るのですが、『源氏』によると色はその人との関係の深さで決まるらしい。
だから、中宮とききょうはほんとは違う色じゃないとおかしかったかもしれないよな、とは思いました。関係性が深いと濃い色だったらしい。『源氏』には大宮(源氏を育てた人。葵上のお母さんですね。葵上は夕霧の出産で亡くなっているからおばあちゃんである大宮のもとで育つんだけど、そこで一緒にそだったのが雲居の雁です。(夕霧の妻になる人)
とにかく、その大宮が亡くなった時、夕霧はそんなに血が近くないけど、特別に濃い色のものを着ていた、と書いてありました。
『源氏物語』「藤袴」の巻では玉鬘が(会えないうちになくなってしまったおばあちゃん)大宮のために喪服を着ていて、そこに夕霧がやってくる(夕霧がこの少し前まで自分の妹だと思っていたが、他人と知って急に言い寄る場面です。源氏のおつかいで来ています)場面ではこんなふうに描かれていますね。
「薄き鈍色の御衣、なつかしきほどにやつれて、例に変はりたる色あひにしも、容貌はいとはなやかにもてはやされておはするを、御前なる人びとは、うち笑みて見たてまつるに、宰相中将、同じ色の、今すこしこまやかなる直衣姿にて、纓(えい)巻きたまへる姿しも、またいとなまめかしくきよらにておはしたり。」つまり、大宮の喪に服する薄い鈍色の衣(これはドラマで二人が来ていたライトグレーの感じ)を、容貌はじつにはなやかに引き立っていて、(中略)夕霧が、同じ色の、少し濃い色の直衣姿で冠の後ろに垂らしている「えい」(ドラマで冠についてるびよびよした兎の耳ふうのやつね)巻いた姿で、なまめかしく清らかに、お見えになった。
みたいな感じですね。同じ鈍色、でも違うの伝わりますね。
ちなみにこの話の中で夕霧は藤袴を差し入れ、玉鬘の手を引こうとして玉鬘に「うわキモイ」と思われています。こないだまできょうだい、て言われていたのに急に他人と知ったからと言って言い寄るとか、ちょっと「ないよね」ってなる気持ちわかりますよね~~!!

では、また!23回で!!

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