生まれた日に死のうと思った話①
実は、去年の誕生日。
"私は、なんで生まれてきてしまったんだろう。
こんなに苦しい世界なら
生まれてこなければよかったのに"
って、生まれた日なのに
死にたいと朝から泣いていた。
高校生のときお父さんが自死して、
そのときも死にたいくらい辛かったんだけど
「えみちゃん。これ以上悲しいことは人生で起こらないよ。
これから先には、きっと良いことがたくさん待ってるから、
えみちゃんはお父さんの分まで笑顔で前を向いて生きてね」
と、先生か誰かにそんな感じのことを言われて、でもその言葉は当時の私にとってやけに印象に残ってて、それを信じてかれこれ10年間弱、グレたりせずにまっすぐに前を向いて生きてきたんだと思う。
でも、その言葉をもう二度と信じられなくなるような出来事が起こった。詳細を書こうとすると本が3冊くらい書けそうな感じになるのでここでは割愛するけれど。
"おい!神さんよぅ、今まで私の何を見てきたんじゃ??ちゃんとお仕事してんのかいな????
こんなに前向いて頑張って生きている人に、あんたはそんな仕打ちをするんか??
まだまだ試練与え足りないんか??もうさぁぁぁ、魂の成長とかこれ以上ほんっといらないから!!本当に楽にさせてほしい、お願いします!!!!"
と叫ばずにいられなかった。
私の魂は向上心がかなり高いようで難易度の高いゲームに挑戦したがりますが、人一倍、繊細な心と身体はいい加減、ギブアップしてしまうと思い、思わず神様と呼ばれる何かに語りかけた。
結局、自死すると残された家族が
どれだけ辛い思いをするか
身を持って知っている私は
家族がまた同じ思いをする....
と思うと、どうしても死ねなかった。
死にたくても死ねない。
生き地獄すぎる。。。
友達から送られてくる
「おめでとう」
「ハッピーバースデー」
の定形メッセージにも
「一体何がめでたいの????」
「どこがハッピーなんだろう????
と訳が分からなくなり、素直に「ありがとう」の言葉を返せずにいた。
このときほど、ブッダの言う"生苦" - 生を受けるということは苦の始まりである- という言い分に、頷いたことはなかった。
すると、前日まで会ってこれからの夢を語り合っていた心許せる友人 から「おめでとう」のメッセージが来た。
すぐに電話して、思いをぶつけた。
「生まれた日に、死にたいだなんて
朝からずっと泣いている自分がいる。
誕生日なのに、おめでとうの言葉も
ちっとも嬉しくない。
ずっと冬は冬眠(活動休止)してたから、
誕生日から新しい自分で頑張ろうって昨日、
夢を宣言したばかりなのに急降下。
こんな自分が本当に情けない」
彼はしばらく黙って聞いてくれてたけど
口を開いて、こう言ってくれた。
「おれさぁ、今、ちょうど子供の
子守をしているんだけど・・・
本当に毎日、一日中、これでもかーってくらい泣いているんだよな~。
えみは今日、誕生日に生まれ変わったんだ。だから、赤ん坊と同じ。泣くのが仕事。思う存分、泣いていいんだよ」
あのとき、この言葉にどれだけ救われたかな。
"そっか、私は今、泣くのが仕事なんだ・・・"
誕生日というめでたいはずの日に、
死にたいと朝から泣いてばかりいる
ダメな自分を責めていたけれど
思う存分、泣こうと思って泣いた。
赤ちゃんが生まれた瞬間からなぜ泣いてるのかそのときは、なんとなくわかるような気がした。
でも、なんで泣いているのか
わからなくなるほど、泣いた。
こんな誕生日は、生まれて初めてだった。
つづく
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