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アラフォー、免許を取る(3)

この歳で、ボッコボコに凹むまでボッロカスに怒られることってまぁそうそうない。そうだな、学生の頃のちょっと怖い先生とか、新入社員研修とか。世代としてはまだ多少手が上がる時代だったし、会社でもそこそこ怒られてきたと思う。いまや何かにつけて「セクハラ」「パワハラ」というワードが付き纏うから、年齢関係なくあまり怒られなくなっているかもしれない。

ただこの世界にもそれが許されている(?)場所があるのだと初めて知ったのである。

ヘイベイビー、アクセル踏んで!

「はい、発進してー」

生まれて初めて言葉を発する時ってどんな風だったんだろう。当たり前だけど、もう覚えていない。車の免許を取ってもう何年も経っている人にとってそれと同じじゃないだろうか。車を扱う仕事をしているなら尚更だ。だけど考えてみてほしい。赤ちゃんに「なんでお前はありがとうございますが言えないんだよ!」と言うだろうか。

生まれてはじめて運転席に座り、生まれてはじめてハンドルを握った。

「あー、ちがうちがう、そんなにギュッと握らないで!」
ハンドルの握り方など、小中高で教わったことがない。
「だから、親指握り込まないの!」
握るの概念がもうよくわからない。
「はい、アクセル踏んでー」
アクセルって・・・どれですか?
「もっと踏んで!あー踏みすぎ!」
踏んでって言ったやん・・・。
「そんな急にハンドル切らない!」
ハンドルの加減とか知らないし!
「あーもう!危ない!」

運転教本と言われるものに目を通してきたものの、どれがなんなのか、はじめて見て触れるもんだから全くわからない。驚いたのは、いきなり運転席に座らせ、特に細かい機能の説明もなく、ハンドルを握らせ、アクセルを踏ませ、教習所内を運転させるということ。エンジンをかける方法もミラーを調整するのも、どのボタンなのかわからない。だって運転席に乗ったことないんだもん。

MT車を選んだから余計ややこしく、ギアチェンジにクラッチ、アクセル、ブレーキと・・・乗って3秒でパニック状態。てっきりイチから教えてもらえるのだと思っていたらそんなことはなく、「とりあえずやってみて」スタイルだった。なぜか知らないことを知っている前提で怒られまくり、ハンドル操作なんてもちろん知るわけもなく教習所内の縁石に乗り上げ、5分に1回くらいエンストして、地獄の50分間だった。最後にイライラしたインストラクターが言い捨てるようにこう言った。

「中島さん、後ろ見てくださいよ。あなたのせいで教習所内が大渋滞ですからね。わかってます?」

そんな言い方しなくたっていいじゃないか。ちゃんと順を追って教えてくれればきっとできるし、危ない運転をさせているのはそっちのせいじゃないのか。なんでそんなことさせるんだろう。わざと知らしめるのか?あるいはみんな案外1回目からできるものなのか?わたしが不出来なの?

怒りか悲しみかわからないモヤモヤを抱えて自宅に帰り、ネットで「教習所 教え方」「教官 最低」などと検索してみると(笑)、いやというほど同じような思いを抱えている人達であふれていた。インストラクターへの怒りをYouTubeで淡々と語る若者もいた。口コミサイトで評価の高い自動車学校などほとんどなかった。愚痴、怒り、クレームで溢れかえっていて、知恵袋で悩みを打ち明ける人には、“大人たち”が正論を振りかざしていた。

「教習所ってそういうものだから」
「そんなことで運転をしたくなるなら免許を取るのをやめたらどうですか」
「そのくらいで怒り狂うあなたは運転に向いていないですね」

うんうん。たしかに正論だけど、どれもなんだかしっくりこなかった。運転の大先輩である親にもなぐさめを求めてみたけど(笑)、「そういうもの」タイプの厳しい父からは望んだ答えは返ってこなかった。

わたしを救ってくれたのはイマドキの共感型コンテンツだった。
教習所では毎回インストラクターが変わる。嫌な人だけでなく良い人もいるけど誰に当たるかはわからない。ネットでは「ガチャ」と表現している人がいた。偶然若いインストラクターに当たった時に「予習復習には、Youtubeを見るといいですよ!」と教えてくれた。旧態依然の教え方ではなく、緊張するわたしを和ませてくれる人で、この一言が転機となった。

わたしのYouTube先生

自動車学校系の人気Youtuberの動画は、まず「そんなこと言われてもできないですよねー!」「怒られて焦っちゃいますよねー!でも大丈夫ですよー!」と共感してくれる。そうなのそうなの、と涙ぐみながら見る。ちょっとしたジョークを織り交ぜながら楽しくわかりやすく教えてくれる。

教習所では車に乗ってしまうと自分の視界だけで理解しなければならないけどれど(そのうえ毎秒横からやいやい言われ続ける)、視点カメラだけでなく四方八方、写真や図解も用いて説明されていて一気に理解が進むようになった。怒られまくったり、ミスしてしまって凹んだ日は、帰り道をトボトボ歩きながらYouTube先生の言葉に救われた。難しい段階の前には何度も何度も動画を見てイメージして、「大丈夫!君にもできる!」という励ましに背中を押されて教習所へ向かった。コメント欄は感謝と励まし合う人達で溢れていて不思議な世界だった。

ちなみに、実はどうしても苦手なインストラクターは「NG」にできる教習所で、1度目は逃げちゃ行けないと我慢したが、2度目に当たった時にたまらずNGを出した。わざとらしくため息をついたり、嫌味を言ったり、イライラした態度を見せたりする人で、それが例え「実際に免許を取ったらそういうこともあるしそういう時に冷静になれるか試されている」のだとしても、そこまでされる必要はないと思ったからだ。接客だのサービスだのお客様だの言うつもりはないけれど、お金を払って通っているわけで、しくもわかりやすく教えてくれるインストラクターと共に大事な自分の時間を使うべきと考えた。学生だったならその判断はできなかったかもしれない。

うんじゅう年ぶりの試験

試験というものも、何年ぶりかわからない。大学はAO入試だったのでセンター試験を受けていない。勉強が苦手で試験は大嫌いだった。ただ、興味のあることや必要に駆られているものは比較的頭に入りやすい。ライターの仕事をしていると専門外のことを学ぶ機会は多く、文字を読んで理解することにも慣れていたのは幸いだと思う。学科試験の勉強では、自動車免許あるあるの「意地悪なひっかけ」にまんまとひっかけられまくっていたものの、次第にその意地悪の意図を理解するようになり、パターンが頭に入ってくると間違いも少なくなっていった。

技能は仮免前の”みきわめ”という大事な項目を落として補講になるミスはあったものの、仮免試験は緊張でガクガク震えながら1発合格。かなり苦戦したのはこの仮免試験までの授業で、路上に出ると比較的スムーズに進んだ。本免試験を受ける頃にはYouTube先生の効果もあって、運転に慣れ、縦列駐車も無事に終えた。

合格を伝えられた時、涙が滲むほど嬉しかった。
2ヶ月と少し、ここ最近でめちゃくちゃがんばった。仕事との両立も、怒られまることも、運転の緊張や恐怖もあんなに辛かったのに、卒業の日はあっけなく、翌日からもうあそこへ行かなくていいのが不思議な感覚だった。

もう隣に先生はいない。
一人で運転するのか。できるのかな。そう思うと隣で補助ブレーキに足をかけ、ちゃんと周りが見えていない時に目を配ってくれたインストラクターに感謝しなければならない。

はじめてって怖い。
わからないって怖い。

わからないことを理解してもらえないことも怖く、不信感も強くなるばかりだけれど、そこで前向きになれるか光を見つけられるかが大事なのだろう。「なるほど」「こういうことか」「わかる!」が増えてくると世界はまるで違って見える。知識をつけること、学ぶこと、経験することは自分をより豊かにしてくれるんだと痛感したアラフォーの教習所ライフだった。

自分って、こんなにもまだまだ未熟。
成長するには一歩踏み出さないと、ね。


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