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宮本浩次(みやこう)と私

宮本浩次さんというアーティストが大好きだ。
「くだらねぇ」と呟く方ではなくて、タイトでキュートな方の。

出逢い

あれは関西の田舎の高校生だった数十年前のこと。
部屋にテレビもなく、帰宅部でバイト禁止で、時間だけはたくさんあった私は毎日ラジオを聴いていた。
実家には勉強部屋と呼ばれる机と本棚だけが設置された狭い部屋があり、「勉強しろ」と言われ机に向かうも、手元には日記・手帳・プリクラ帳・耳元にはCDラジカセ(時代!)でろくに勉強なんてしなかった。

関西人にはお馴染みの人気FM局、FM802も大好きだった。
そこで週代わりで週末の番組を担当していたのがタイトでキュートな宮本浩次(みやもとこうじ)氏。
ラジオっ子なので楽曲は以前にも耳にしたことがあった。
「タイトでキュートなヒップがシュールなジョークとムードでテレフォンナンバー」はリリース当時日本で一番長いタイトルの楽曲で、それきっかけでよく流れていた。
田舎のモンヤリとした女子高生だった私は、「こんなノリノリでエッチな歌を歌う人はイケイケで浮気者なふしだら野郎に違いない」と勝手に決めつけていた。
ところがラジオから聞こえてくる宮本浩次氏のトークの声・話ぶりは、とっても落ち着いていて繊細で、けどやっぱりノリノリでちょっとエッチで、時々ポロロンと弾き語るギターと歌声が抜群に素敵で、いつの間にか大好きになっていた。

umbrella

そんな時、発売された2ndアルバム「umbrella」。
発売日、母親に車でCDショップへ連れて行ってもらい、買って帰って、リビングにある“音が良い方のCDラジカセ”へ入れて、再生ボタンを押した時の衝撃は忘れられない。
アルバム一曲目、タイトルソングの「umbrella」のイントロで私は、生まれて初めて心臓がギュウウウウウウウと掴まれたような感覚を覚えた。
そして掴まれた後の心臓がフワ〜とあたたかくなったような。
「これだ」という、直感的に人生の指針を与えられたような衝撃だった。

その日のうちにアルバムを何度も何度も聞き返して、翌日から制服のポケットには歌詞カードを入れて、授業中も休み時間も、暇さえあれば繰り返し読んだ。
これまでボーッと生きるだけだった私に、無関心に過ごしてきた人生に、たくさんの意味を与えてくれるような言葉が並んでいた。
「Sunny days」の歌詞「大切なのは心のムード」が座右の銘になった。

憧れ

家ではCDラジカセ、通学中はCDウォークマン、授業中は歌詞カード黙読。文字通り擦り切れるほど聴いて、友達にも貸しまくって、次は1stアルバム「奇麗になりたい」にも手を出した。頭の中はみやこう(私が勝手につけた愛称)のことばかりだった。
どうやったら彼のように、日々のあれこれを繊細に切り取って、的確な言葉の中にしっかり詰め込んで、美しいメロディをつけられるんだろうって。

実家の物置にあった父の古いギター(クラシックのほう)に新しい弦を取り付けて、みやこうがラジオで弾き語っていたのを真似して、さだまさしの「雨やどり」や松山千春の「恋」を練習した。母は喜んだ。
(そういえばみやこうのおかげで昭和歌謡曲も好きになった)

「冷たいアイスティー」を耳コピして、ピアノで弾き語った。
「ポルサリーノ」を弾き語るためにカズーも買った。
ブルースハープと首にかけるハーモニカスタンドも買ったけど、全然上手くならなかった。
とにかくみやこうのような才能あふれるアーティストに憧れた。少しでも近づきたくて、なんでも真似をした。

受験生時代

高校2年生の冬から予備校に通い出した。
“下の中”のような成績で、志望校へとても受からなさそうだったからだ。
授業は録音して、家で聞きながら復習するのが私のスタイルだった。もちろん媒体はカセットテープ。
ここでも机の横のCDラジカセが大活躍した。
授業のカセットを聞きながらテキストで復習し、問題集を開くと今度はみやこうのCDを流しながら解いた。

学校のテスト前は、最初から最後までみやこうのCDと共に勉強した。
勉強部屋では父が隣の机でPCを開くことも多かったが、私があまりにも音楽ばかり流しているので「あんなのであの子はちゃんと勉強できているのか」と心配していたそうだ。
聞かされた母にしてみても同じことを感じていたと思うが、口出しせずに好きなようにやらせてくれていた。今思えば相当な寛大さだ。あるいは諦めていたのかも。
とはいえ、おかげで予備校に入った当初はD判定だった志望校に無事に合格することができた。予備校と宮本浩次のおかげである。

大学時代

志望校合格のお祝いに、キーボードを買ってもらえることになった。
実家のアップライトピアノは、アメリカから持ち込んだもので相当古く、何度調律してもすぐに音が変わり鍵盤が落ち込むから。
みやこうが「冷たいアイスティー」のMVで弾いていた、RolandのRD500。
梅田中の楽器屋を回ったが500は旧機種で在庫がなく、RD600を我が家に迎え入れた。
これでまた一歩近づけた!と嬉しくて、俄然「冷たいアイスティー」を弾き語りしまくった。
高校時代の友人とバンドも組んだ。
シンセサイザーでなくキーボード、コードも知らない私なのでロックな楽曲に対してあまり素敵なアレンジはできなかったが、スタジオで練習したりステージに立ったり、ライブ終わりに牛丼やかすうどんを食べるのがとても楽しかった。
バンドのリーダーだった友人へも散々と宮本浩次を布教したためか、「俺はミッシェルとハイロウズを足して3で割った上にみやこうを振りかけたような音楽がしたい」と言ってくれたのは嬉しかった。

就活時代

大学3年生の秋。私は悩んでいた。
関西ではある程度名の知れた私立大学。同級生たちは当たり前のように何十社・何百社へエントリーシートを送る中、私には入りたい企業がちっとも見つからなかった。
友人たちは、安定が一番と金融や不動産を中心に受けていた。
スタイル抜群の友達はグランドスタッフになりたいと航空会社を受けていた。
私はといえば、就職活動の何もかもがしっくりこなかった。
黒く染めた髪もリクルートスーツも、絞り出すような自己アピールも全てが違和感だった。
「週に一度は一日中外出せずパジャマですごす日がないと私はダメになる」と悟って実家のリビングでゴロゴロしていたときのこと。
片隅のキーボードが目に入った。
バンドは辞めてしまって、あまり弾くこともなくなっていたRolandのキーボード。
「しっくりこない就活も、みやこうが弾いてるキーボードを作る会社なら受けてみたいかも」と思い、社名を検索してエントリーシートを提出した。
そして、ただでさえ少ない私の就活エントリーで、唯一最終面接まで進んで内定を出してくれたのが、その会社だった。
東海地区へ越すことが内定の条件です、と言われた時も、なんの躊躇いもなく「行きます」と言えた。

現在

大学卒業と同時に家を出て、20年。
楽器メーカーに勤めた数年間はたくさんの尊敬できる人たちに出会えた、人生で最高に楽しい時間だった。
田舎の野暮ったい女子高生だった私も、人並みに恋愛もして、恋のインシデンツが何かしら起こるたびにみやこうの音楽と自分を照らし合わせて、あの頃は理解できなかった歌詞の意味を見つけたりもした。
会社を辞めてアメリカへ留学したときも、みやこうのCDは全部MacBookへ読み込ませ、さらにアルバム「umbrella」はお守り代わりに持参した。
慣れない海外生活で毎日聴いて、毎日励まされた。
帰国して現在の夫に出会ったころも、「好きなアーティストは?」の話題にすかさず「宮本浩次!エレカシじゃないよ!」と答えて数曲聴かせたりもした。
活動を続けているのかどうかも定かでなかったし、その頃にはもう特別追いかけていたわけではなかったけれど、
当たり前のように私の人生に染み渡っているのが彼の音楽だった。

のちの夫となる人物とは当初はメールでしかやり取りがなく、顔も知らない存在だったけれど、
みやこうの楽曲をいくつか送った次の返信で
「宮本浩次、最近活動再開したみたいだよ!よかったね!」とあった。
すごく嬉しくて、同時に彼のことをすごく好きになった。

最近になって、NHKの番組にエレカシの宮本さんが出られた際に
父親がそれをみて「お、久しぶりに聞く名前やなぁ。宮本くん。娘が大好きやった!え?ちがう?宮本浩次やで…ちがうの?…」と反応していたと母に知らされた。
父よ!そっちはヒロジでこっちはコウジだ!
けど20年以上経っても宮本くんを覚えていてくれただなんて!あの頃毎日一緒の部屋で聴いただけのことはあるな!

そして昨日

ペンネームから明らかなように、私はジェーンスー様を敬愛している。
スー様は、インスタで時折、その時聴きたい・聴いているであろう楽曲をストーリー上でシェアしてくださる。
さすがもとレコード会社なだけあって、おしゃれな楽曲がたくさん。
あるある。今の季節と気候とメンタルにはこういう曲が良いな、という心のジュークボックス。ラジオでのトーク中でもぽんぽんとイントロやサビや歌詞が出てくるあたり、スー様の収容曲数はさぞ多いんだろうなと思いながら投稿を見るのがとても楽しい。

昨日、いつものようにインスタの上部にスー様のサークルを見つけ、ポンと押したところで私の心臓が止まった。

ズッキャーーーーーーン

みやこう!みやこう!みやこう!!
大好きなスー様が、大好きなみやこう!!
9月といえばEarth, Wind & Fireの「September」なのだろうだけど、
9月に雨が降ったら宮本浩次の「九月の雨」しかないと言われるあれ。
切なすぎる恋の歌「九月の雨」。
思わず「ギエェェ」と声を出してのけぞり、驚いてこちらをみた夫に
「じ、ジェーンスーがみやこうを!大好きなジェーンスーが!!」と携帯の画面とダイニングテーブルに置いてあったスー様の著書『ひとまず上出来』を交互に見せながら興奮を伝えた。

しばらく眠れなくて、「九月の雨」はもちろん、他の曲もたくさん聴き返して、私の人生がいかに宮本浩次のおかげで豊かになっていったかを思い出していた。

みやこうは現在も音楽を続けていて、ライブも精力的に行っていること、Youtubeで近影が拝めること(あの頃と声も姿形も同じまま!!)、Xのアカウントもあってファンと交流されていること、博多華丸・大吉の大吉先生もみやこうのファンであること!
私が高校生だった頃には想像もつかなかった数々のテクノロジーで、どうやっても近づけないと思っていた憧れの存在をこんなに身近に感じられるだなんて。
「umbrella」の歌詞カードを握りしめて心を温めていたあの頃の私におしえてあげたい。

スー様の昨日の投稿から、私の中でみやこうとの思い出が走馬灯のように蘇りこれを書くに至りました。
今ではこれといった“推し”のいない私の生活でも、あの頃はあんなに心を捧げる存在がいて、近づきたいと努力できたことは、自分の中にもちゃんと燃えるものがあるんだと確認できたようで、少し暖かい気持ちになれた。

タイトでキュートな宮本浩次さん、改めて私の人生に登場してくれてありがとうございます。近いうちにライブ必ず行きます。
そして世間一般では「浩ちゃん」がニックネームですが、私は一生「みやこう」と呼ばせていただきます!

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