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お隣さん贈与レポ

プチ花火大会


かねてより、ムスメが隣の子どもたち(兄妹、4歳と2歳くらい)と花火がしたいと言っていて数週間前から花火を用意し機会を覗っていたが、私たち家族がある夜、出先から戻ってきたときにお隣のパパさんが玄関先でタバコを吸ってるのを見かけて「あのー。これから花火をやろうと思うんですが、よかったら一緒にどうですか?」と声をかけに行ったら「あ、いいですよ。今、ご飯食べてたので5分くらいしたら行きますね」と返事をもらった。
たいしたことない会話だけど、暗闇でのくらがりチャレンジだった。月一回顔を合わせるかどうかの間柄で子どものためとはいえ、ほぼ"知らない人"に声をかけるのは誰でもできることではない。はず。

我が家の玄関先で花火を並べていると、ママさんに連れられて2人がやってきて私が「一緒にやろう」と誘っても最初、お兄ちゃんはモジモジしてぎこちなかったけどしばらくして慣れてくると動きが良くなった。
花火を見ないで、煙を見上げている子だった。
かわいい。
妹ちゃんのほうは、断固拒否して私の隣にちょこんと座っていた。あとは、お兄ちゃんに花火を渡す係。
かわいい。

花火の返礼

ほんの少しだけの花火だったので、サクッと終わって解散したのだけど、翌日ムスメが学校から帰宅したところ、隣の人(おばあちゃん、私の母親と同い年くらい)から昨日のお礼に、とカゴメの缶ジュース5本を受け取っていた。

返礼からのポトラッチタイム

私が帰宅してから、以前、県外からのお土産にもらったお菓子と、子どもたちにおっとっとの小袋を2つ用意して返礼に伺った。

渡すと「ほんのお中元のお裾分けだったのに、かえって気をつかわせたみたいでごめんねー」と言われたけど、
目下の私たち(息子夫婦と同い年くらい)は何も返さないのが"普通"だったのだろうか。
どっちでもよかったかもしれないが、もしくは手ぶらで行って挨拶だけ。
相手にとって喜ばれたか分からないけど、カタチで示してみた。今回のは身を切らない返礼。

しない・しなくていい・したくない・できない

私が相手の贈与に返礼するときには、できない以外には何らかの形で応えてる。心を失いながらもしてしまうのはなぜなのか自分でも分からないけど、

相手のためよりも

自分に対するよく分からない義理で動いている。
自分に義理を通したい。

苦しくなるけど、やめられないことのひとつ。


贈与・返礼の有無に関わらず、相手のために動ける自分が好きなので、一切、絶ってしまうと贈与ラリーに限らず私のライフラリーが途絶えてしまう。ライフワークとも言える。
贈与は時に身銭を切りながらの不毛な行為ともいえる、しかしある時に見えない効力を発する。
実際のところあまり効力も感じないし、発動させることもないのだが。



自分が本当に欲しいものをいつでも見失わないようにしたい。が、手近なもので妥協していないか?余計なゴミを握りしめていると、いざ目の前にあった時に掴めない。


ほとんど、脈絡のない流れで綴ってしまったが後半はなんだか自己犠牲と承認欲求を説いた。身銭を切らない贈与となるとやりたい贈与が見つからない。しばらくの間、贈与断ちをしてみるか。

もしくは、不特定多数に向けた喜捨とか効きそうだ。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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