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河鍋暁斎 / メトロポリタン美術館
あたらしい生活
自分にはなにもないのだ、と呆然としたのは数年前の春のことでした。
というと、まるで自分がなにも不自由なく、なんでも持っていると
思っていたみたいですが。
もっとひどい。
それは例えるなら、友達グループから煙たがられているのにもかかわらず
長く気づかずにいる若い女の子が、ショッピングの約束に
自分だけ嘘の待ち合わせ場所を教えられていたことを知って
逆切れするような感じです。
救いがちょっと遠くにある感じですね。
温かい泥
それ以来、直面する現実に愕然としながらも、胸元まである泥の中を進んできました。
泥は汚いものだと思っていました。
長年積み重ねてきた負の行いの報いを受けているのだと気づいたとき、
贖罪の期間が始まっていると気づいたとき、
心が楽になりました。
そして泥は少し温かくなりました。
私にはなにもないと思えただけ、まだましだったのでしょう。
だんだんと慣れてきて、ちょっと手ですくい上げて顔に塗ってみたりなんかして。
それがたまたま私の場合は春だったということですね。
新生活、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
あるいは、泥の中。
私よりもうんと深い泥の重さに耐えながら、毎日朝を迎えておられる方もいらっしゃるでしょうか。
今、この文章を書きながら、そのことを想像しました。
この文章を読んでくださっているあなたに、心からの感謝を捧げます。
ありがとうございました。
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