私の履歴書③

 こんにちは、エマです😊
 前回は旦那との出会いから、結婚までを書きました。
 今回は、いよいよ結婚した後のことを書こうと思います。
 
 私の妊娠がわかっても、戸惑いはあったようですが逃げずに即答で
 「結婚しよう」
と言った旦那。
 私は心底安心して、同時に親元を離れることができて、幸せだと感じていました。
 でも、見るべきところを見逃がしていたツケは、案外早く来ました。

 お互いの両親の挨拶を終え、さて、これから二人の生活をどうしようか、と相談を始めた時。
 「俺達は若くて経済力もないし、親の脛かじるしかないよ。そのうち返せばいいよ。出世払いってことで。」
 と、あっけらかんと旦那の両親に頼りきりました。

 私は親と不仲だったのもあるのと、一つの家庭の責任者となったのだから、という思いで、できるだけ自立する方向に考えることを何度も旦那に伝えました。
 しかし旦那は「俺達じゃ無理に決まってるだろ」の一点張り。
 少しでも早く自立する努力をする気もなさげで、私には『楽がしたいから頼っている』ようにしか見えませんでした。

 当初は好きな人と四六時中一緒にいることができて、幸せだと思っていました。旦那は相変わらず好き好き攻撃を飽きずに続け・・・私が妊娠していても、体調が悪くても、寝ている時でもお構いなしに求めてきました。
 私は体力的に辛いのと、行為の方向的に相手を支配するような、自分が優越感を得るような内容の行為が好きじゃなかったのですが、相手が私を好きで求めるんだから、と我慢を続けていました。

 旦那の両親と同居し、旦那は自分のやりたいことを自分のペースでやり、私と旦那の両親の間を取り持つでもなく、孤独感が強くありました。

 旦那の両親も独特な人達で、直接的ないじめはないけど、陰で愚痴というか「あの子はダメな嫁」という話を旦那に話す。私の気持ちや考えを何もくみ取らず、両親のせいで俺達が生活できるんだぞ、と責められる。そんなことが、些細ではありましたが、日常的に続きました。
 私はその状況を改善するような知恵を持っていなかったため、私はその頃、自分はダメだ、自分が悪いんだ、と思い込んでいました。でも自分で蒔いた種だから(女だけど)、我慢しなくちゃ、と思っていたのです。

 もちろん、辛いことだけではなく、旦那の両親も自由なタイプだったので、人生を楽しむ、ということをやっている様子を見て、家庭によって、こうも環境って違うんだな、というのをまざまざとみせられました。何よりも違ったのは「どうしたい?」と私の意向を聞かれることが多かったからです。私が選んでいいんだ、人生楽しんでいいんだ、という体験が新鮮でした。

 しかし、それ以上に旦那の両親とのズレをはじめとする環境によるストレスが溜まり、いよいよ体調不良が慢性的に。それを怠惰のせいにされ、私の言葉の揚げ足をとる形で、結局出産後は旦那の両親の元を出ることになりました。
 それについても誘導質問のような形で
 「いつかは住まいも独立してもいいかも」
 というニュアンスで私が彼の両親に言った言葉を
 「私がこの家が嫌いで出たいと思ってる」
 と旦那の母親が旦那に伝え、旦那には叱られ、両親はあなたが望んだんでしょう、ここにいてこれだけ恩を受けてるのに。みたいな形で追い出されました…。

 まぁ、私は正直ほっとしました。旦那の両親と居るのもとっくに苦痛になっていました。それで経済的に苦労はしても、いいと。
 ただ、経済的な恩恵が受けられなくなったことにいら立ったのでしょう。その旦那に、色々理不尽に怒られたりもしました。
 が、それでも毎晩求められ、そこでは「ダメな私でも愛している」みたいな形で丸め込まれていました・・・。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました😊
 次回はいよいよ解き放たれた野獣(旦那)がやりたい放題の時期に突入します…。

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