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2024/08/08

えっと・・恥ずかしいな。何から書こうかな。でもこの間のnoteでバカデカ感情を消化してしまったばかりなので今あんまり書くことが溜まっていない。
とりあえず今週は今が何曜日で何時なのかという感覚とずっと遠くにいた。社会人になって初めて会社を休んだ。

大事なものがまた一つ二つと増えて、大事だったものを手放した。手放すっておかしいか。離れる覚悟を決めた。

誰を刺したいわけでも自分を正当化したいわけでもないんだけど、会わないという選択肢が相手にも自分にも一番誠実だと思った。誰よりも大事だったからこそ、幸せを妨げてはいけない。言いたいことはたくさんあるけれど、ただこれで良かったんだと思う。どうか本当に、幸せになろう。

この間ママとピアノのリサイタルに行った。私の大好きなドビュッシーとかショパンとかやってたけど、アンコールで弾いていたリストの「愛の夢」が一番良かった。聞くところによるとハンガリー(リストの出身地)に3年留学していたらしい。そりゃあ思い入れあるわな。

休憩時間が謎に20分もあったので文化劇場の中をなんとなく散歩していたら、展覧会などのポスターが無数に並んでいるコーナーがあって、慄いた。

この世ってふと気を抜くと知らないところでどんどん流れてしまっているんだなと思った。何言ってるのか分かんないよね、なんと言うか、ここしばらく文化や芸術などと程遠すぎる生活をしていたことを自覚した。気づけば平気でそれらに置いてかれていた。まあ絵画とか現代アートとか、見ても何も分かんないんだけどさ。ライブとか企画展とか、もうちょいアンテナ張ろうかなとか思った。

日々に文句を言いつつ、ではどうなったら納得できるのか分からない。自分のやりたかったことが本当に分からない。なんとなく夢物語みたいなのはずっと持ってるけど、自分に何が向いていて何が自分の幸せなのか分からない。その価値観がずっと変わらないとも思えないしとにかく未来の自分に恨まれたくない。30とかになって都内のちっちゃなアパートで犬猫と暮らして毎晩焼酎の水割りとか飲んでたらどうしよう。容易に想像できてしまうのも怖い。

架電嫌だなあ。嫌というか怠い。無意味。そう、無意味。私じゃなくてもいい。それが許せない。私じゃなくていい。私がベストな選択肢ではないこと、そんな環境も受け入れてバカみたいに電話かけてる自分の反骨心の無さもキモい。今の私はベターな選択肢ですらない。この会社において現状それしかできないから、突破率もアポ率も良くないけどやらされているだけ。

石の上にも三年、でもそんな時代はもう終わり。アタシにしかできないことがやりたい。でもそんなものは、この世界のどこにも、ナイ。

本当は期待したいこと、信じていたいこと、言いたいことがたくさん。きっと自分でも気づいていないレベルのもたくさんある。酒や疲労でその蓋が開いて、無責任に口走ってしまうことに怯えている。でも最近の私は酔ったら褒めるらしい。よかったー
3連休はずっと実家にいることになりそう。金ないしちょうどいい。

そのうち、2人と海に行きたい。海のそばで山盛りの海鮮丼が食べたい。ほったらかし温泉で卵かけご飯を食べたい。ちょきとしてスパジャポの館内着めっちゃ似合いそう。

結局これも、期待なのかなあ。

「人は人を裏切るんだ!そういう生き物なんだ!」と叫ぶMOROHAを丁寧に地中に埋めて、楽しい夢を見たい。そしたらそれが理由になるもん。

追記

そういえば、ミラクニスとジャスティンティンバーレイクの「スティフレンズ」(原題:friends with benefits)を観た。まあ観たことあるんやけど。あとさっきも中野に止まった気がするんだが気にしないでおこう。今日は本当に疲れた。なーんにもしてないのに。

めっちゃいいフレーズがあったのでそれだけ貼っておきたい。

It’s not who you want to spend Friday night with.
It’s who you want to spend all day Saturday with.

この映画何から何まで目に見えてるし下品やし焦ったいけどそれが良い。私はかなり好き。

駅前のスシローで弁当を買って帰ろうと思ったのに何も残ってなかった。無理すぎ。何食べよう。久々にってほどでもないけどなんだかやはり孤独や静寂というものは相対的なもので、私はもうみんなに会いたい。ほうれん草カレーを買って帰ろうかと思ったけれど何しろ胃が痛すぎる。私はあまり胃にくるタイプではないのでだいぶ食らう。

迷いながら歩き続けると選択肢がコンビニかイオンリカーになってしまうので結局いつもイオンリカーに入る。なんでここペイペイ使えないんだろう。しかも思ってた数倍お金残ってた。飲みにいけば良かった…。

この街はいつもうるさい。眠らない。ずっと、謎の連帯感がある。pkの歌詞に

「住む街は騒がしい方がいい 疲れたら 愛し合わなくてもいいように」

とあるけれど、違う。騒がしい街のいいところは、変わってしまったものに気が付かなくて済むところだ。変化の少ない街に住んでいたら、無くなったものに気がついてしまう。

なんてことを考えながらいつもの帰り道を通ってきたわけだが、置き手紙のぬりつぶされたぶぶんをよんでほんとうにだめになってしまった…いつからこんなに体裁やプライドや労働やマトモでいることが大切になってしまったんだろう。もっとちゃんと向き合えたら、最後くらいちゃんと話したらよかった。何も成長していないどころか人として死んでいっている。

合鍵が返ってきて、私の家に帰ってくる人はもう、誰もいないんだということ、あの生活がもう2度と返ってこないんだということに、頭がガンガンしている

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