答えのないものが好きなんだ
学校に通えていない長男に、私が子どもだった頃の話をした。つまらない授業では絵を描いて遊んでいたことや、発言するから楽しかったってこと。
手を挙げて発言する意味はあるのか?
「俺も1〜2年の頃は手を挙げてたよ。でも意味ないからしなくなった。答えを言ってなんの意味があるの?」
ふむ。なるほど。発言するために考えることには意味があるかもしれないけど、答えをわかっているなら、発言すること自体には意味がないのかもしれない。
答えのないものが好き
「俺はね、たぶん答えのないものが好きなんだよ。だから作文が好き」
「答えのないもの」なんて言葉が出てきて驚いた。こども哲学を説明するときにいつも言っているからだろうか。「大人でも答えをしらないことを話す」「そもそも答えなんてないものについて話す」とかね。
私は聞く。
「でも、算数は答えがあるんじゃないの?」
最近塾に通い始めて、算数の問題をひたすら解くのがとても楽しい、と言っているのだ。
「あれはさ、どんなやり方をしてもいいじゃん。筆算だって、1の位からでも、100の位からでもいいし、繰り上がりを書いても書かなくてもいいでしょ。俺は、人と違うやり方がしたいんだよ」
ここまで言葉にできるものだろうかと、驚いた。
「だから美術とかも好きなんだよ。でもさ、デッサンはあまり好きじゃなかった。だってみんな同じじゃん」
デッサンに筋トレのような意味があるとわかるまでには、まだもう少しかかるのかもね。
私も答えのないことをしたかった
私は、大学を卒業してSEになった。サーバーを構築するような仕事で、まず新人のうちは、「仕事ができる」=「コマンドやシステムの仕組みを知っている」だった。
そのことに興味が持てなくて、業務系アプリを構築する部署に異動願いを出した。要件を実現するために、やり方を自分で考えなくてはならない仕事はエキサイティングだった。
クライアントの親会社から、ドイツ人の方が訪日したとき、私はつたない英語で「以前の仕事は答えがあったけど、今は答えがないことがとても楽しい」と一生懸命に話したことを覚えている。彼はスタバで頼んだエスプレッソを飲みながら「うんうん、わかるよ」とジェスチャーも交えて応えてくれた。
今私は、文章を書く仕事をしている。文章は、答えのないものの中でも最たるものではないだろうか。他の人と同じものには絶対になり得ない。
長男は、私が20代前半で感じた痛みを、すでに感じているのだ。もはや私よりずっと賢い。そして、ある意味では私とおんなじだった。
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