威光の活かし方
おはこんばんちは。
春、陽が長くなった。
早起きの季節。
山は日照時間が短いから、これからの時期嬉しいなぁ。
今日は、「威光の活かし方」。
私は、威光によって生きている、と思う。
以前、後輩から、「育ちの良さを感じる、羨ましい」というようなことを言われたことがある。
その時は、ええっ!?と思ったけど、なんか心に残っている。
もちろんその発言自体は後輩がお世辞的に言ってたかもしれないけど
確かに、他人を見て、その人となりってわかるなぁとは思った。
自分自身がわからなくても、他人にはなんかわかる。こわい。
その人の背景がなんとなく見える。
私の育ち、、良いとか悪いはわからない。良いとか悪いとかじゃない。
ただ、そういう風に生きてきた。
両親がいて、祖父母がいて、姉兄がいて、
田舎の程よい一軒家に暮らし、無駄な贅沢はせず質素を普通とし、
充分な教育を受けて、欲しいもののほとんどは得ることができ、
いつだって自由で、いざという時はいつも守り助けてもらえる環境。
…だったように思う。
私にとっての当たり前は、世の中ではそうでもないんだなというのは
大人になるにつれて、いや、大人になって随分経ってから、わかってきた。
いろんな育ちがあるんだなぁ、と。
育ちが良い悪いじゃないと思うのは、
どうあれ、それを乗り越えないといけないと思うから。
私は、乗り越えられてない。
乗り越えるという言い方もちょっと違うのかもしれない。
人それぞれの、育ちの活かし方かなぁ。
生まれ育った過程をどう活かすか。
踏襲するのか、反面教師にするのか、
どう自分の糧にしてどの分野で伸ばすか。
そのベースは、まぁ、育ちにあると思う。
でも、一般的に恵まれた育ちだから良いとか、
一般的に恵まれていない育ちだから悪いとかでは絶対ない。
それが難しいところでもあるけど。
受け入れる、ということかなぁ。
ただ、自分の育ち、持っているもの、才能…すべてを。
本当の意味で受け入れられてないと、
ないものねだりが終わらなかったり、自らの否定が終わらない。
咀嚼できてから、次のステップに進む。
やっぱり、私を活かすのは私。
自分のことを内外からよく理解して、そして、どう生きるか。
これまでの人生はやり直せない。
私じゃない誰かにはなれないんだから。
コツコツ、地道に、自分の思う道を貫きたいと思う。
今日も、自分を信じて。
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