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私の血肉

おはこんばんちは。
なんでかな、良い予感がする。
自然かつ良い方向に人生が動き始める気がする。
そんな4月。


今日は、「私の血肉」。
昨日のカムカムエブリバディで、虚無蔵さんが言っていた。
「そなたが鍛錬し培い、身につけたものはそなたのもの。一生の宝となるもの。
されどその宝は、わかち与えるほどに輝きが増すものと心得よ」。
わかち与える…かぁ、と思った。
前半の言葉は、これまで何度も出てきていた。
続きとなる後半の言葉を知って、ハッとした。
真髄はこういうことだったのか、と。

私がこれまで経験してきたこと、これからも学び続けること、いろいろある。
人はいつか死ぬのであって、死に向かって生きている中で、
私が今新たに学んでることや、悩みもがいてること、
自分を高めようとしてることに意味はあるのかなって思うことがある。
得た知識も、得たお金も、地位も、
死んでしまったら終了、基本的には残らないんだろうし…。
つい昨日のnoteで、何事も意味なんてなくていいんだよねって納得したばかりだけど💦、
つい、意味を考えてしまいたくなる、人間の習性なのか。

野菜を食べて、魚を食べて、肉を食べる、私たち。
その生物の血肉をいただいて、私は生きている。
その生物も、生まれてからいろいろと生存競争を勝ち抜き、
様々な経験をして、そうやって個体として成長してきたはず。
そして、最後は、私に食べられた。
自然界の真理。
私も、生まれてからいろいろと経験をして、成長してきた。
私も、食べてもらおう。
って、実際は食べてもらえないから、
分かち与える、について人間なりの答えを見つけないといけない。
野菜や魚や肉のように、人間を食べてくれる生物はまだいないから。
この世界に、どうしたら還元できるかな。
…深いこと考えちゃったな。
そういうことほど単純に、周りの人を助けよう。
私の生まれ持った能力や得た能力を生かすことで、周りの人を助けよう。
周りの人を、ほんの少しでも、幸せにしよう。
きっとそれが私の生命の輝きとなる、はず。


今日も、自分を信じて。

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