240406雑談
歯医者の待ち時間が暇なのでnoteを書いている。
先日私の好きな7 MEN 侍の本髙克樹が激辛料理を完食するチャレンジをするので見た有吉ゼミでギャル曽根さんが大盛り料理を食べていた。
リゾットに盛られたさまざまなおかずの中にトマトのブルスケッタがあり、ギャル曽根さんはとてもおいしそうに食べていたので今週ずっとトマトのブルスケッタが食べたかった。
平日朝は情緒もテンションとやる気も食欲も味覚も死んでいるため週末に作ろうと思っていた。
週末になり、家にあったトマトを切ったらなんかグズグズしたトマトでブルスケッタはべちゃべちゃになってしまった。
味はおいしかったがべちゃべちゃなのは本当によくなかった。
今度はフレッシュなやや固めのトマトを使おうと思う。
本当はバジルが入るといいみたいだ。
トマト以外に刻んだ玉ねぎとニンニクペーストを入れたが、家にあるものだとピーマンとか(本当はパプリカがよい)入れると味に複雑さが出てよりおいしくなるかもしれない。
料理は自分がおいしいと思えれば正解なのでわかりやすくていい。
たとえ失敗しても改善点を導き出しやすいところもいい。
あまり複雑な料理はしないが、料理は手軽に自己肯定感を上げることができるところがいい。
某バンドの人が地方のファンを軽視する(というか首都圏在住者の傲慢さが出ている)発言をして炎上したが、別にそのバンドのファンでもなんでもないけど、好きなバンドの人とかミュージシャンがこういうこと思ってたらめちゃめちゃ嫌だなと思って無駄に凹んだ。
ファンに貴賎はないとはいうが、やはりライブに沢山足を運んでいるような人のほうがアーティスト的にはありがたいだろうし、SNSで発信力のあるファンのほうが好ましいだろうし、ライブにフラスタ送るような行動力のあるファンのほうがうれしいだろう。
私はそのいずれでもなく、ましてや地方在住なので、なんとも言えないのだが。
大学の頃だったり、SNSで知り合ったり、私の周りの音楽が好きな子たちは私なんかよりよっぽど音楽が好きで音楽に詳しくて、その子たちは札幌以外の道内のかなり遠い地域から札幌に出てきた人達だった。
音楽の飛距離は作り手本人よりも長く、作り手本人が死んでも残り、音楽そのものは地理も時間も人格も環境も資本主義すら超えて届いてしまう。
音楽は作り手本人が想像もつかない場所に届いき、そしてそこにはその音楽を愛している人間がいるのだ。
電車も通ってないようなライブハウスもCD屋もないような寒村の小さな部屋の中、学校に行けず暗い部屋でベッドに寝そべりながらスマホでYoutubeを見ている中学生があなたの音楽に出会うかもしれない。
地方都市で毎日生活のために遅くまでバイトをしている若者が終電の中何気なく見ているSNSであなたの音楽に出会うかもしれない。
闘病中で病院に長期入院しており唯一の楽しみに毎週聴いているラジオから流れてきたあなたの音楽に出会うかもしれない。
私の貧相な想像力ではそんなベタベタなシチュエーションしか思い浮かばないが、もっと壮絶な環境で音楽と出会う人もいるのかもしれない。
だからといってミュージシャンにリスナー一人一人の事情を汲めだとか配慮しろだとか言うつもりは毛頭なく、ミュージシャンだって人の子なので行ける場所には限りがあるし予算にも限りがあるし目に見えるものを優先するのは当然だし「わからない」ものは「わからない」のだ。神様じゃないんだから。
皆、自分の置かれた環境のなかでそれぞれの音楽との付き合い方があり、ライブやイベントに行くことに重きを置かないというあり方もある。音楽そのものが好きで作り手当人に興味があまりない人もいる。現場に行きたくても経済的物理的に行けない人もいる。47都道府県ツアーの県庁所在地以外にも人は住んでいて、全国ツアーと銘打たれていても外される地域もある。
インターネットが発達して、その色々な人々のいろいろなものが目立つようになっただけだ。
持っていない人は持っている人のことをずるいと思うのは当然だ。
じゃあどうしたらいいのか。
いろんなものを天秤にかけながら選んでいくしかない。
生活、預金残高、愛、時間、、、
音楽は逃げていかないが、自分にとって音楽がどういうものなのかについて常に考え続けていく必要がある。
他の人がどうとかは関係なく。
とはいえつらいしむずかしいよな。
誰かと自分を比べないようにするのは。
宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」って曲あるじゃん。ずーっとこれ。
好きなものとはよい距離感と関係性でいたい。
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