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Re:時間差ラブレター

わたしは、劣等感の塊だった。

37歳になった今でも別にその全てを払拭したわけではないけど、歳のおかげか、昔よりは自己肯定感ってやつが上がってきていて、少しは生きやすくなっている。

わたしが抱いていた劣等感、その源流は、実姉に対してのものだった。

わたしには5歳上に姉がいて、姉は、小さい頃からそれはもう可愛い顔立ちをしていた。目が大きくて、上品で、八重歯がキュートで、1児の母となった今でも童顔で可愛い女性である。


幼い頃から、姉妹であるはずのわたしたちの顔は似ていなくて、「お母さん、なんでお姉ちゃんと同じように産んでくれなかったの?」と思っていた。親戚からも「お姉ちゃんは可愛い、えみちゃんはおもしろい」と評価されていたし、あぁこれは、女の子として、正統派では姉に一生勝てないんだなって早々に自覚していたものだ。

わたしが小学校高学年になると、たぶん、第二次性徴的なものだと思うんだけど、食欲がすごく増した。そして素直に太った。ごはんをおかわりして、お菓子も食べていたから、そりゃあしょうがない。今のわたしを知っている人は、えみすけってまぁまぁデブだよねと思ってると思うんだけど、この頃からデブの片鱗を見せ始めるのである。

当時、姉は女子高生。毎日学校で楽しいことがあって、彼氏もできて、ルンルンでお母さんに報告している。姉が通っていた高校は大阪の公立高校の中でもかなり賢いほうで、なんかもう、可愛くて頭も良くて人気者の姉の存在は、横でポテチを食べてデブっているわたしにはまぶしすぎた。

わたしの趣味はゲームと漫画で、はっきりいってオタクっぽかった。オタクって、今でこそ市民権を得ているけれど、つい数十年前まではやはり生きづらかったし、ましてや女子でゲームをしている子なんてほんとに少なかったのだ。


ゲームの中の主人公(FF7のクラウド)に真剣に恋をしていたわたしは、男子とゲームの攻略話で盛り上がることはあっても恋愛対象としてはみられなかった。自分にもいつか彼氏ができるのかな?みたいなことを想像することもあったけど、祖母譲りの剛毛な眉毛と、ダサい髪型、イズミヤで買い揃えた服装にはモテる要素もなく、ただ淡々とゲームと漫画に没頭しながら日々を過ごした。

そんなわたしに転機が訪れる。高校入学だ。

姉の一つ下のランクの偏差値の高校には、わたしを知っている人がほとんどいない(同じ中学からは3人しかいなかった)。これはチャンスだ。

高校デビュー、できるかもしんない。

高校では、なるべくオタク要素を出さずに、男女ともに話しやすいキャラづくりを頑張った。私服だったので、ダサさが露呈しがちだったが、non-noを熟読して買い物にも行った。母が連れて行ってくれていた馴染みの美容院は卒業し、初めての美容院にも行ってみた。緊張して顔が真っ赤になった。

15歳のとき、初めて彼氏ができた。

でも1か月で別れた。自分から告白したくせに、なんとなく気持ち悪くなってしまって(ひどい)、自分から別れを告げた。恋が終わった後は、なんで好きだったんだろうと思うぐらい醒めていて、なんだか恋って儚い感情なんだなあって思った。

2年生になって、3年生になって、周りがどんどん大人になっていっても、わたしは相変わらずコソコソとゲームをしていた(しかもRPGツクールというかなりガチ寄りのゲームに手を出す始末。視力も大幅に下がった)。

この頃になると、劣等感を、姉だけではなく、周りの女の子たちにも抱くようになっていた。見た目のコンプレックス、そして誰からも異性として求められない寂しさが、度重なる失恋で拍車がかかって、より一層自分の自信をなくしていたのだ。

誰かを好きになっても、その男の子は別の女の子のことが好きで、そして確かにその子は可愛い。自分も、可愛いその子に近づけるように、しゃべり方や服装を真似てみたりしたけれど、やっぱり土台の部分が違うという現実に気づかされるだけ。

眉毛を細くして、ストレートパーマをあてて、ルーズソックスをはいても、「それらしき女子高生」ができあがるだけで、自分の良さなんてどこにもなかった。ただ体型を隠すために、みんなと同じ無印のカーディガンを着ていた。

高3の秋に、クラスの一人の男の子と行事を通じて仲良くなった。
その男の子は、1年生のときから彼女が絶えなくて、けっこう何人も「元カノ」がいた。(しかも可愛い子ばっかり)

当時、鈴木亜美がアミーゴって呼ばれていた影響で、わたしも数人から「えみーご」って呼ばれてたのだけど、その男の子も例外なく「えみーご~!」って気さくに話しかけてくれた。その子は、とある部活のキャプテンで、夏までは部活に一生懸命だったのに、秋に引退してからは急に国立大学を目指すとか言い出して、なんかほんとにすごいなって思った。

文化祭の演劇も、誰よりも一生懸命やっていて(目立ちたがりだったから、主役と監督をこなしていた)、カーテンコールでは誰よりも号泣していた。「男やのに泣き虫なん?」ってその子に聞いたら、「せやねん!俺なー!めっちゃすぐ泣いてまうねん(^O^)笑」って明るく返ってきた。

いつもニコニコ笑っていて、人を笑かすのも好きで、いつも輪の中心にいる人…そんなイメージだった。受験勉強の合間をぬって、わたしたちは夜に電話をするようになった。電話は向こうからもかかってくることがあったから、彼もきっとわたしのことを嫌いではないはずだ。

でも、言葉に出して、居心地のいい関係が終わってしまうのが怖かった。
「ごめん、えみーごとはそういうんじゃないねん」って言われたくなかった。

だけど、彼がクラスの他の女の子をかわいいって褒めたりすると傷つく自分がいて、知り合いの女の子がその男の子のことを好きだっていう情報も入手して、もうのんびりしてたらだめだと思った。幸いわたしには、可能性が低くても告白する勇気だけは残っていた。自分の想いを、素直にぶつけてみた。

わたしの告白を聞いたその子は、最初「えっ??」と戸惑っていたけれど、「俺と付き合う?まじでゆうてるん?」と何度か聞き返した後、「…じゃあ、付き合おっか」とOKしてくれた。ここからわたしの残り少ない高校生活は、かなり色づいたものに一変した。

恋愛経験が豊富で積極的な彼と、オタクなわたし。
なんでもリードしてくれて、わたしの心と体はどんどん「女の子」になっていった。彼といるとドキドキして、楽しくて、せつなくて、もう帰らないといけないのに「あと1本だけ次の電車にしよう」ってお互い駅のホームで笑いあったりした。

時々、彼の手慣れたしぐさに元カノの存在を見せつけられる気がして落ち込んだけど、「今までの経験なんて関係ないよ。えみーごがなんでも一番やで」ってその都度言ってくれて、なんか、わたしはわたしでよかったなぁと思えた。

社会人になった姉とメールしても、いつのまにか劣等感は感じなくなっていてびっくりした。姉みたいに可愛くないわたしでも、今ものすごく幸せに、楽しく生きているから。姉は姉の、わたしはわたしの良さがあるんだって、やっと思えた。気づけた。

なんとかわたしなりに彼を幸せにしたくて、きっと向こうもそう思ってくれていたのだと思う。若いわたしたちは、青かったけど、たぶん一生懸命、愛し合っていたはずだった。

だけどここでわたしは、最悪な行動をとってしまう。

途中でわたしが推薦入試に合格し、彼と勉強時間を共有できなくなった。わたしは、自動車学校に通って免許を取ることにしたのだけど、そこで、同じく大学入学が決まっている他校の人たちと仲良くなって、彼と波長が合わなくなってしまった。

受験を、いちばん近くで支えないといけない立場なのに、他校の男子から告白されて、わたしはすっかり舞い上がってしまった。今思い返してもクソだと思う。わたしは「モテてる自分」を実感したくて、彼に別れを告げて、新しい彼氏を手に入れた。

罪悪感に酔いしれて、結局は自分が自分の存在を立証したいだけだった。
わたしは他人を使って、自分に足りないものを埋めようとして、平気で人を傷つけた。誰からも相手にされなかったはずの自分が、今こんなに情熱的に求められているという現実に酔っていた。ふつうに気持ち悪いやつ。

わたしと別れたあと、元彼氏は、無事に志望校に合格したと共通の友達から聞いた。わたしはほっとして(自分と別れたせいで不合格になったとしたらそれこそ罪悪感が半端なかっただろうし)、「合格おめでとう!」とメールをした。返事は簡潔に「ありがとう」だった。やっぱり彼の集中力はすごいと思った。

新しく彼氏になった人は、はっきり言って、ほんとに残念だった。付き合うまでがピーク、のような典型的な人。「彼氏がいるわたし」がおもしろそうだっただけで、わたしがいざ自分のものになると、わたしへの興味は急速に薄れていったようだった。

デートは外ではなく、いつも自宅に誘われた。18歳の男子が部屋でしたいことなんてひとつしかない。わたしはいつからか、部屋への誘いも断るようになっていた。彼はそれこそ経験豊富だったし、なかなか誘いに応じないわたしにイライラしていたのかもしれない(想像でしかないけど)。

そしたら急に「別れよう」って言われた。付き合って2週間ぐらいのことだった。わたしからすれば、大事な大事なあの人を振ってまで手に入れた恋だったはずだ。こんなにかんたんに終わるなんて納得がいかない。人を傷つけて始まった恋愛だからこそ、わたしは幸せにならないといけなかったのに。

気づいたらわたしは、元彼氏に電話していた。

「ふられた」って言ったら、元彼氏は「はっ?」と驚いて、わたし以上に怒ってくれた。
「なんやねんそいつ。どこまでむかつくねん。絵美のこと好きやって言うから、お前もそいつのこと好きって言ったから、しょうがなく俺は身を引いたのに…」

このひとは、まだわたしのこと、好きでいてくれてるのかな?
頭には、そんな狡猾な考えが浮かんだ。
どこまでも人を利用しようとする自分。
ただ慰めてもらいたい、浅ましい考え。

わたしは1週間後に、京都に引っ越しすることが決まっていて、話題は大学のことになった。そしたら元彼氏が、わたしの引っ越しの前日に、渡したいものがあるから家に行っていい?って聞いてきた。

当日、原付で現れた彼は、手紙と1冊の本を差し出した。

「この本な、なんか本屋で見てて、あーお前にぴったりやなって思ってん。よかったら読んで。ほんで手紙はな、実はお前にふられたすぐ後に書いててんけど…今まで渡せんかった。渡さんとこうかなって思ってたけど、でもせっかく書いたから、やっぱもらって!笑」

気づいたら二人とも泣いていた。
わたしは何回も何回も謝って、本当に自分は馬鹿だったんだと、間違った選択をしたんだと、心底、後悔した。

彼はわたしの実家で親と一緒にすき焼きを食べて帰っていった。
わたしの母親とも自然に和やかに話す彼を、大切だと思った。
彼が帰ったあとに手紙を読んだら、涙で前が見えなくなった。そこには、彼がわたしと別れたあとも納得できなくて、わたしの弱さもズルさも飲み込んだ上で「大好き」だという言葉があった。

わたしは別れを告げるときも泣いていて、「わたしが最悪なだけで、あなたのいやなところはひとつもなかった」って言ったのだけど、それに対するアンサーとして、「俺のいやなところがみつからんって?じゃあみつけにきてよ。もっともっと俺のこと知ってくれよ」って書いてあった。

これだけ想い合ったわたしたちだけど、このあと再びヨリをもどすことはなかった。いろいろあったけど、この数ヵ月後、連絡もとらなくなった。

大学に入ったわたしは、臨床心理学を学んで、信頼できる友人を得た。
自分の愚かな行動をさらけだすことで、なぜ自分がその行動をとったのか、自分なりに分析できるようにもなった。

わたしが、人を傷つけてまで得たかったものは、自分は人より優れているという有能感や安心感。劣等感を覆い隠すために、中身を詰めないまま、蓋だけしたような状態だったんだ。だから結局スカスカで、いつもなにか物足りなくって、違う魅力を持つ人に惹かれたりしていたのだと思う。

今ならわかる。
本当は、まずは自分で自分を満たさないといけなかった。
人が評価する自分が「自分の価値」だなんて思っていたから、求められるままに流されてしまったんだ。

泣き虫な自分を肯定していたあの人は、
いやなところを見つけにきてって言ってくれたあの人は、
間違いなくわたしの、自己肯定感の始まりだった。

肯定すると、中身が満たされるんだなって、すごく思う。
入ってるものが増えるわけじゃないんだけど、同じ見た目でも、すごくおいしそうなお料理に変わるかんじだ。今あるもので満足すると、幸せが増える。逆に、ないものにばかり目を向けていては、いつまでたっても満たされることはない。

8年前、わたしが長女を出産して、実家に帰っているとき、地元の友人から久しぶりに彼の噂を聞いた。彼も結婚して娘がいて、なんとわたしの娘とおんなじ名前をつけたらしい。まったくの偶然だけど、こんなこともあるんだなと思った。

もう会うこともない彼に、ふとお礼を言いたくなることがある。
あなたのおかげで、わたし、大学からはわりと上手に人間関係を結べるようになったよ。
自分のいやなところも、それも含めて自分だと、認められるようになったよ。
わたしという人間を、そのまんま認めてくれて、本当にありがとう。

あの日返せなかった手紙のお返事として。

えみすけより。

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