ほしい言葉をくれる人は、結局のところ愛するのが上手な人やねんな
ちょっと前、こんなことがあった。
身体の調子が悪くなると、「これはいつ治るんだろう?」って不安になる。一生このままだったらどうしよう、って怖くて、いろんなサイトを調べて、詳しそうなところに行くよね。
その時その人が、「あなたと同じような症状の人をたくさん診て来たからわかるけど、これは絶対に治るよ。だいじょうぶ」って言ってくれたら、ものすごくほっとするだろうなと思う。
言葉って、安心材料だ。
確かな結果を約束してくれるものでなくても(結果を求める場合もそりゃあるけど)、そう言ってくれる、ということが大事だったりする。
これを医療の場面に置き換えると話はそんなに単純じゃなくなってしまうのだけど、「相手が欲しがっているものを提供する」という意味では、広くいろいろなことに応用できるよな、とは思う。相手が欲しがっていないものを提供するのは、押し付けだし、自己満足だし、下手すりゃ迷惑になる。
いま自分が相手にかけようとしている言葉は、そもそも求められてるの?
ただ自分が気持ちよくなりたくて言ってるんじゃない?ってことは、いつも肝に銘じておきたい。
でもこれってなにも、相手に対しておべっかを使うとか、とにかくサービス精神を出せとかいう、そういう気持ち悪い話ではないのです。
言葉は心から出るものだから、いくら相手がほしがってる言葉だからといって、うわべだけで発しても意味はない。ていうか、きもい。
「あーこう言ってほしいんやろ?はいはい、言うといたるわ」って思って発した言葉は、後々本人がいないところで「あいつきもいんだよなー」っていう愚痴になるし、そんなんだったら最初から【その場だけ気持ちよくさせる】みたいな接待をやめればいいのに、と思うから。
わたしが言ってるのはそういうことじゃなくて、「ありのままの相手を認めたうえで、相手にかける言葉」のこと。
人間関係が円滑にいくコツは、やはり相手を「尊重」できるかどうかなので。
たとえば、わたしが、いやなことがあって落ち込んでたとする。
ある人は、「元気だしなよ」と励ましの言葉をくれる。とてもやさしい。
実際にその言葉には「ありがとー」って思うし、元気にならなきゃなぁ、と思う。
そして、ある人は、「今、超たのしんでるよー🤤」っていう画像を送ってくれたりする。それを聞くと「うわぁいいなぁ!」と思うし、相手がたのしく過ごしている、というその事実だけで、なんだかニコニコしてしまう自分がいて、気づいたら元気になっていた。
これ、わたしのほしい言葉をくれたのは、実は後者のほう。
後者の相手は、落ち込んでるわたしに「元気になってほしいな」とは思っているけれど、無理に気持ちを動かそうとはしていなくて。ていうか当たり前だけど気持ちって無理には動かせないw
だから、楽しい気持ちになるように、素材をくれてる。わたしが明るい方向を見れるように、違う場面を見せてくれてる。こういうのが、わたしのほしい言葉だなぁと思う。
昔の曲だけど、「come again」は名曲すぎるよね。
このサビは、
なんだけど、まさにこういうことなんだよなと思う。
(どういうことやねんて?ちゃんと解説しますw)
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しあわせに生きて、しあわせに死ぬまで
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