ガフの部屋(the chamber of guf)
エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン)の作中で使われる多くの謎めいたタームのひとつだが、ネットでざっと調べても、日本語ではいまひとつ有意な情報が得られなかった。それで、本家のWikipediaを当ってみた。あくまで試訳だから不完全なところもあるが、当座の役には立つのではないか。
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Wikipedia英語版
より
Guf
ガフ(גּוּ、Gupとも訳される)はヘブライ語で、「身体」を意味する。ユダヤ教の神秘主義では、ガフの部屋(the Chamber of Guf)はオツァール(הָאוֹר、ヘブライ語で「宝庫」の意)とも呼ばれ、第七天国にある「魂の宝庫」を指す。
参考; 第七天国 Seven Heavens
◎魂の木
ユダヤ神話では、エデンの園には生命の木、すなわち「魂の木」があって、この木が花を咲かせ、新しい魂を生み、それらが「魂の宝庫」であるガフに落ちるとされている。ガブリエルはその宝庫へと手を伸ばし、最初に手にふれた魂を取り出す。その後、受胎の天使ライラが、その魂が胎児となってから産まれ出るまでを見守る。
参考; ユダヤ神話 Jewish mythology
ラビのアイザック・ルリア師によると、木とは魂のための休息所であり、雀たちは魂が降りてくるのを見ることができるから、それで喜びの囀りを上げるのである。魂の木は、これまでに存在した、あるいはこれから存在するであろうすべての魂を生み出す。最後の魂が降りたとき、世界は終わりを迎える。タルムードの『イエヴァモット』62aに従うならば、ガフからすべての魂がなくなるまで、救世主は現れない。魂を鳥に見立てた他のユダヤ教の伝承ともども、ガフは巣箱、あるいは鳥小屋と表現されることもある。ガフのもつ神秘的な意味は、一人ひとりが重要な存在であり、その人だけが、その人固有の魂をもって、その人だけが果たすことのできる役割を担っているということである。生まれたばかりの赤ん坊も、ただ生まれてくるだけで、救世主へと近づくことができる。
参考; アイザック・ルリア Isaac Luria
タルムード Talmud
イエヴァモット Yevamot
魂の宝庫を「身体」と表現する一風変わった慣用句は、原初の人間アダム・カドモンの神話的伝統と結びついているのかもしれない。アダム・カドモンは、神が人類に与えた「初志」であり、両性具有でマクロコスモス(宇宙と同規模の大きさ)な超人であった。このアダムが罪を犯したとき、人類は血と肉を備えた生身の人間、今のわれわれがそうであるような、分断された死すべき生物へと降格されたのである。カバラによれば、すべての人間の魂は、アダム・カドモンの大いなる「世界‐魂」から出て循環する断片のひとつ(もしくはいくつか)にすぎない。つまり、すべての人間の魂は、(アダム・カドモンの)ガフから来たるのである。
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Wikiからの翻訳はここまで。ちなみに、Googleで検索すると、「ガフの部屋 聖書」と候補が出るけれど、タルムードはユダヤ教にとっての大切な聖典ではあっても旧約聖書とはまた別のものである。旧約聖書そのものの記述の中には「ガフの部屋」は出てこない。
念のために基本的なことを述べておくと、旧約聖書はユダヤ教徒にとっての聖典であり、新約聖書はキリスト教徒にとっての聖典である。ただ、イエスの来臨は旧約の伝統を踏まえて初めて成立するものだから、キリスト教徒は新約と並んで旧約聖書をも重んじている。いっぽう、ユダヤ教徒の新約聖書に対する態度はきわめて複雑かつ微妙といえる。
上記の訳の中では、「タルムード」と共に「カバラ」というタームも出てきた。ややこしいのだが、ざっくり言って、「タルムード」とは文書群の総称、「カバラ」とはユダヤ教独特の創造論・終末論・メシア(救世主)論を伴う神秘主義思想のことだ(だから今回の訳文の冒頭の「ユダヤ教の神秘主義では、」という部分は「カバラでは、」と言い換えても構わないと思う)。
「エヴァ」の世界設定がカバラを下敷きにしているのは上記の「アダム・カドモン」のイメージからも明白だが、日本人には馴染みの薄いユダヤ教的神秘思想が現代ニホンのサブカルチャーに導入されるに当たっては、1988(昭和63)年のアメリカ映画『第七の予言』(デミ・ムーア主演)が媒介(の少なくともひとつ)になったのではないかと私個人は推測している(同作では「ガフの部屋」の説明のなかで、前出の雀の逸話も言及されている)。しかしネタ元の考察については詳しい方が星の数ほどおられるだろうからこの点に関しては深入りしない。