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463.稲葉優子さんと行くみちひらきの旅2024【2】 ~鬼やらい神事:石清水八幡宮~(1.28午後)

金棒を持った鬼たちが、子どもたちを怖がらせながら参道を進み、本殿前に近づくと、並んだ豆まき人たちが、いっせいに、「鬼やろう」の掛け声とともに「福豆」を撒き、鬼は、背中を丸めて斜面を転がり落ちていく。
 
鬼たちは、何度も向かっていくけれど、福豆の威力で転がりおち、ついに退散してしまう。
 
「鬼やろう」と言いながら、豆を投げる神職や巫女さんの笑顔があたたかくて、またしても、みとれてしまう。
 
なんと、あたたかいご神事なのだろうか。
 
(本文より)
 
◆鬼やらい神事
◆裏参道
◆安居橋(あんごばし)
◆カードからのメッセージ
 
********
 
◆鬼やらい神事

午後からは「鬼やらい神事」
すでに、本殿前の石畳沿いは、たくさんの人であふれていて、やはり、ご神事を間近で見たいので、本殿前の斜面の近くに場所をみつける。
 
といっても、最前列ではないので、人と人のすきまから、観る感じだ。
コロナ禍ではありえない密着度。
 
地元のかたのお話では、昨年は、豆まきは行われず、並んで授与していただいたとのことで、今年はどうなるかわからないとのこと。
 
(湯立神事も、以前は、沸かした釜の御神水がふるまわれたり、持参した容器にいただいて帰ったりできたそうだが、コロナ禍でなくなり、2024年も、笹の授与のみだった)

そわそわしながら、待っていると、本殿の前に、神職や巫女さんや、年男年女の豆まき人など、ご神事を執り行うとおぼしき人たちが登場する。
午後からは雨模様という天気予報どおりなのか、鬼が近づいているからなのか、あんなに青かった空は、曇って灰色になっている。

鬼やらい神事では、邪気を祓うとされる桃の枝をつけた桃弓と、桃の枝で作られた桃剣が使われると書かれていたので、どんなものなのだろう…… と思っていたのだけど、弓の上部に紙で包まれた箒のようなもの(桃の枝)が付けられているのが「桃弓」で、背中に差している、長い桃の枝が「桃剣」のようだ。

とても、かっこいい!
 
また、提灯を持っている、年齢の違う男の子2人が、とてもかわいい。
年上の子は、凛としていて、表情も大人っぽい。
年下の子は、まだあどけなく、表情に感情がぜんぶ出ていて、でも、しっかり役を務めている。
 
ご神事は、まず、「鬼やらい人」と呼ばれる人(たぶん、弓のすごく上手い人)が、四方(東北・東南・西南・西北)今年の恵方(東北東)を射ぬき(矢はなく、型だけ)、次に、「鬼やろう」の掛け声とともに、桃剣で四方と恵方を打つ


とにかく、かっこいい。
 
私は、「弓代」という名で、名づけの由来も「弓」の持つ神威にあやかったものなので、ふだんはあまり意識していないけれど、石清水八幡宮の大きな矢や、弓を使ったご神事は、心がときめく。
 
鬼は、いつ来るのだろうと、きょろきょろしていると、遠くから、太鼓の音と唸り声のようなものが聴こえてくる。
 
(鬼が近づいてきた!)
 
人並が大きく揺れ、ざわざわしはじめる。
みんなが、耳をすましているのがわかる。
 
遠くで、子どもが泣き叫んでいる声が聴こえ、それが、だんだん近づいてくる。
いったい、何をされているのかと驚くほどの、ギャン泣きなので、首を伸ばして、近づいてくる鬼の姿を観たいのだけど、ぜんぜん見えない。
 
観衆のざわめきと、子どもの泣き叫ぶ声だけが、どんどん、近づいてきて……
 
「来た来た! 鬼!」
 
という声に、参道に目をこらすと、赤鬼と、緑鬼の身体の一部が、人並の隙間に見え隠れする。

胴体は、着ぐるみではなく、鬼の色の服を着た人間の身体で、顔だけが鬼なので、妙にリアル
このような鬼に顔を近づけてこられ、さわられたり、脅かされたら、小さな子は、身もだえして怖がり、ギャン泣きするだろうと思う。

金棒を持った鬼たちが、子どもたちを怖がらせながら参道を進み、本殿前に近づくと、並んだ豆まき人たちが、いっせいに、「鬼やろう」の掛け声とともに「福豆」を撒き、鬼は、背中を丸めて斜面を転がり落ちていく。



 鬼たちは、何度も向かっていくけれど、福豆の威力で転がりおち、ついに退散してしまう。
 
「鬼やろう」と言いながら、豆を投げる神職や巫女さんの笑顔があたたかくて、またしても、みとれてしまう。
なんと、あたたかいご神事なのだろうか。

そして、鬼たちが退散すると、今度は、参拝者に向かって、福豆がふるまわれる。
 
節分の豆まきのご神事は、テレビで見たことはあるけれど、自分がその場にいるのは初めて。
地元の人たちは、慣れていらして、福豆をキャッチする方法や、どこにいればいいかなども熟知されているようす。
 
私などは、そもそも声を出すなんてできないのだけど、隣にいるおばさんがおもしろくて、
 
「こっち、こっちー。こっちやでー。こっちに投げてー」
「中間、中間、こっちにも投げてー」

 
などと、ずっと叫んでいらして、そのおかげか、福豆が飛んでくる回数が多かったように思う。
せっかく参列したのだから、優子さんと一つずついただいて帰りたいという、コミットのもと、福豆キャッチに向けて、全神経を集中。
 
群衆の中で、飛んでくる福豆の袋を、空中でつかむというのは、ほぼ無理な話で、フードやマフラーや、持っているカバンの中に、飛び込んでくるのを待つか、落ちたものを、人の足の間に手を伸ばして、素早く拾うか。
 
もみくちゃに混雑していた本殿前の人並も、福豆をいただくと、抜ける人が増えてきて、だんだんすいてくる。
一ついただいて、抜けていくおじさまたちの、美しい魂に感動。
 
ようやく、一つキャッチできた私は、優子さんがキャッチできたかどうかがわからないので、少なくとも、二ついただくまでは抜けられないと思い、抜けずに残る。
 
しばらくして、もう一つキャッチでき、すぐに、もう一つ、落ちてきたのを拾って、全部で三つになったとき、ほどなく終了。


神様にご挨拶をする神職や、巫女さん、豆まき人の背中が、神々しい。
 
優子さんの姿を探して、あたりをみまわすと、どんなふうにしたら、そんなに受け取れるのか、いくつも福豆の袋を持っている人がたくさんいて、驚く。
さかさまにした野球帽に、どっさり持っている子供や(お父さんがとってくれたそうだ)、もう、袋をあけて食べている人などもいて、境内は笑顔の渦。笑うという、最強の祓い。
身体もぽかぽか。

優子さんに一つプレゼントできて、私もミッション達成でき、ほっとする。
なにより、優子さんが、楽しかったと言ってくれて、とても嬉しい。

地元のおじさんのお話では、1月19日には、「焼納神事」といって、前年の古いおふだやお守りを炊きあげる炎で清められた、石清水八幡宮特製の「厄除餅」が、ふるまわれたそうで、5本も食べたという話を伺うだけで、口の中いっぱいに、焼いた餅の味がひろがり、唾液が出てくる。
 
石清水八幡宮の境内は、男山全体がご神域で、歩いているだけで気持ちよい上に、地元のかたたちの神社への愛と誇りが、境内でかわす会話の端々から伝わってきて、そのことも、とっても心地よい。
 
◆裏参道

帰りは、ゆっくりと裏参道を下っていく。

「石清水社」と「石清水井」
 
前回訪れたときも、夕暮れ時でほの暗く、今回は、時間は早いのだけど、雨が降りそうな曇天で、やはりほの暗い。
そのせいか、いにしえからのたたずまいと霊力のようなものが、色濃く感じられる氣がする。

歴史を感じる石造りの鳥居が、1636年に寄進された、境内に完全な形で残る最古のものだと、立札に書かれているのもうなずける。
 
岩清水の由来ともなる霊泉は、知らなければ、とても飲もうとは思わないけれど、前回、地元のおじさんに、大丈夫だと太鼓判を押され、本当に、おいしく飲み干し、御神水をペットボトルにいただいて帰ったので、今回もそのつもりでやってきた。

ムーンストーンのようなミルキーな様相は、濁っているようにも見えるのだけど、くみあげると透明で、口に含むと甘い。
飲める水が湧き出しているなんて、それだけで、日本の地は、いのちが守られ、愛されていると感じる。
 
◆安居橋(あんごばし)
 
麓におりると、前回は、日が落ちて真っ暗で気づかなかったけれど、趣のある太鼓橋がかかっていることに気がつく。「安居橋」と書かれている。


 たもとには蔵も建っていて、昔の町並みが残っている保存地区にタイムスリップしたような気持ちになる。

気になったので、帰宅してから調べると、日本三大勅祭(葵祭・春日祭・石清水祭)の一つである「石清水祭」の原点となる「放生会」の舞台となる場所とのこと。
 
「放生会」とは、殺生を戒める仏教の教えに従い、捕らえた魚や鳥などの生き物を川や野に放って供養する儀式のことで、「石清水祭」では、この橋の上で、神職による大祓詞が奏され、鳥が空に放たれ、橋のたもとでは、魚が川に放流されるそうだ。
次回、石清水八幡宮を参拝するときは、この橋の上で大祓詞を。
 
優子さんも私も、事前のリサーチが足りず、(知っていれば)と思うことが、帰宅してから、次々に出てくる。
 
すぐそばを通りながら、水分社をお参りせずに過ごしたことも、そのひとつ。
次回は、ぜひ、左側を見上げ、階段を昇って、社に手をあわせる。
 
時間が少しあったので、駅に向かう道すがら、付近にある「飛行神社」に行こうとしたのだけど、すぐ目の前に見えているのに道がなく、今回は断念。
 
優子さんと私は電車の方向が反対なので、石清水八幡宮駅前にある昔ながらの喫茶店で、一息。
国宝指定され、勅祭が斎行される格式高い神社の最寄り駅なのに、駅にはお土産やさんも、飲食店も、コンビニもなく、喫茶店がただ一軒。
気が付けば、2時間くらい話していた。
 
◆カードからのメッセージ
 
共通の学びである、名前のことだま®の50音カードや、ひめカードの話になり、せっかくなので、お互いにカードセッション。


「そ」
「お」
「よ」
「くくりひめ」

 
2024年は、これから続けていくこと、ほんとうにやりたいことにシフトするための準備期間と考えていて、内省期間……これまで学んだことの棚卸と統合をしたいと思っていたので、どストライクなカードに、2024年の方向性へのエールをいただいた。
 
何枚引いても、きっと、母音は「お」なのだろう。
歓びとともに、次のステージにあがるための音。
(ちなみに、優子さんが引いたカードの母音は、3枚とも「え」だった)
 
節分の直前の日曜日に先駆けて、ご神事をしていただき、授与された福豆は、当日まで神棚にお供えし、ご神事で祓い、浄化された心身で、春の扉をひらく準備ができた。


2月を大切にすごそう。
今年は、特にそう思う。
 
優子さん 一緒に参拝してくれてありがとう。
 
境内にある走井餅老舗の出店で、飛ぶように売れていた名物の走井餅と、石清水八幡宮が、国宝に指定されたことを記念して、平成28年に生れたという鳩もなかをお土産に買う。


優子さんからは、おいしそうな豆菓子をお土産にいただく。

鳩と豆。
佳き。
 
浜田えみな
 

午前中の「湯立神事」の投稿はこちら

 

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