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308.水瓶座の満月(3)

コーヒーで ゆったりと (2)

ライオンズゲートが閉じるという2022年8月12日は、水瓶座の満月だった。

獅子座の父に起こったこと。
私に起こったこと。
行動したこと。選択したこと。受け取ったこと。

その記録です。ヤマなしオチなし日記。
おそらく3~4回連載予定。

3回目です。

◆救急診療
◆入院

***

これまでの投稿は、タイムラインまたはコメント欄のブログに連載中。

【水瓶座の満月(1)】
◆発熱外来前夜
◆朝
◆受診

【水瓶座の満月(2)】
◆帰宅
◆救急車
◆病院着

*****************

◆救急診療

しばらくすると、先ほど点滴をつけてくれた看護師さんが戻ってきて、点滴をチェックして、父に声をかけてくれる。
応答あり。
だいぶ、話ができるようになってきたが、やや、ろれつが回っていない。

「どうします? 今日、連れて帰ります?」
「え?」

ベッドに横になっている父を見る。
意識は戻ったけれど、 立って歩ける気配がない。
救急隊員二人で、父を救急車まで運んでくれた光景がフラッシュバックする。

父が住む家は、築四十数年の昭和な造りの一戸建て。
道路から門のところまで石段が3段。玄関も段差あり。一番奥の父の部屋に行くまでに、廊下と台所がある。
トイレもおふろも段差だらけで、バリアフリーではない。
手すりもないし、車いすも使えない。
父が自分で歩いてくれなければ、ベッドに連れていくこともできない。
着替えもトイレも、ままならない。
逆に、尋ねてみる。

「今日、歩いて帰れる状態になるのでしょうか?」

(ぜったいに無理)だと思った。
会話ができる状態にもなっていない。

「入院をご希望された場合、コロナ病棟になるので、入院されたあとは、10日間ご面会できません」

(10日間!)

「希望せず、連れて帰られるかたがいるというのは、コロナで入院してしまうと、亡くなるときもそばにいられないので、ご家族で看取るという覚悟も含めて、連れて帰るかたがいらっしゃるということですか?」

と、思っただけでなく尋ねたような記憶があるが、どんな答えが返ってきたのだったか、覚えていない。
ともかく、私は、決断をゆだねられている。

認知症の父が、10日間、何も置かれていない病室のベッドにいることによるリスクが、いっぱいに広がる。

今はぐったりしているが、快復したとき、自分がいる場所がわかるだろうか?
自分が置かれている状況がわかるだろうか?
認知症が進んできて、新しい記憶は、まったく入らない。
気がつくたびに、不安になるだろう。家に帰りたくなるだろう。
そのことさえ忘れてしまうかもしれない。
それよりも何よりも、ずっとベッドに寝たきりで、筋肉が衰えて歩けなくなったら?
今、自宅でできている着替えや、ひげそりや、電子レンジの使い方や、庭の水やりや、デイサービスに行くことや、日々のルーティンのすべてを、忘れてしまったら?
10日後に家に戻ってきた父が、何もできなくなっていたら?
私や家族のことを忘れてしまったら?

そのままを看護師さんにぶちまける。
看護師さんは、言葉を選びながら、入院によって、筋力の低下や、認知症が進むことは、やはりあることを伝えてくれた。

(ぜったいにそうだ)

と思う。

でも、目の前の父は、歩ける状態ではない。
心臓に何か疾患があるかもしれない、との話も初耳だ。
だけど、入院してしまったら、10日間、自宅に戻れない。

(どうする?)

もちろん、連れて帰りたい。
でも、冷静に考えて、たちまち、立ち行かなくなることが目に見える。

「父が立って歩ける状態でなければ、連れて帰っても、私ひとりでは、寝室に運ぶことも、ベッドに寝かせることも、起こすことも、着替えさせることも、トイレに連れていくことも、何もできませんし、感染予防で、同じ部屋にはいられないし、何か起きたときの対処ができないので、病院で看てもらうしかないのですが、認知症なので、10日間も、今までの生活から離れていたら、退院後の元の生活に戻れるかどうかがわからず、戻れなかった場合、さらに介護が大変になって、それも困るんです……。
たとえば、途中で……。症状が改善し、落ち着いたら、途中で退院することはできるのでしょうか?」

もちろん、父は陽性患者なので、3~4日後に戻ったとしても、まだ家庭内隔離と感染予防対策の徹底が必要だ。
私が感染する可能性もある。仕事にも行けない。

でも、このときは、父の自立と認知が損なわれることのほうが恐ろしかった。

看護師さんは、親身になって聴いてくれて、
「ご家族の以降は伝えます。先生から、お電話で病状の説明がありますので、そのときにご相談ください」
と言って、部屋を出て行く。

しばらくして携帯電話が鳴り、まだ若いと思われる女性の声が、救急担当の医師であることを告げ、確認事項として、救急隊院からの報告内容と、現在の状況を伝えられる。

救急車からプレハブに運ばれたとき、駆け付けてきて、救急隊員から話を聞いていた、髪の長い、きれいな人が、そうだったのかもしれないと思い当たる。

先生の話によると、「心臓」に何か異常が起きたときに出る何か(説明してくれたが、用語が覚えられず、訊き返さなかった)がみられるが、以前のものなのか、今回の意識不明となった原因なのかが、現段階では特定できず、詳しく検査をしないとわからないとのこと。
しかも、父はコロナ患者のため、できる検査が非常に限られているため、できうる限りの検査を行い、病状の安定に努めるとのこと。

心臓疾患があるかどうか尋ねられたが、私の知る限り、そのようなことはない。
それどころか、若いころ、駅伝大会で区間賞をもらったこと、田舎に住んでいて、学校まで走って通っていて、膝が強くて下りが得意だったと話してくれていたので、心臓は強いのではないかと思う。
しかし、父の弟が心臓のバイパス手術をして、ペースメーカーを入れていると聞いたことがあるので、そう伝える。
いくつか質問を受ける。

既往歴、ワクチン接種のこと、アレルギーはあるか、手術をしたことがあるか、タバコを吸うか、お酒を飲むか……。

喫煙していたが止めたようですと答えると、何歳まで吸っていたか? と訊かれ、(そんなん、知らんわー)と思いながら、私が生れてからは吸っていないと思う、と答える。

臓器提供の同意があるかを訊かれ、知りようもない。だけど、こんな質問が出るということは、亡くなる可能性があるということだと感じて、背筋が冷たくなる。

そのほかにも、(古女房しか知らんやろ)と思うような質問が続く。
答えながら、私は、介護で同居するまでの父のことを、「ほとんど知らない」ことに気がつく。

だけど、過去のどんな病気よりも、伝えなければいけないのは、現在の父の認知症のことだ。

曜日と時間がわからない。昔からやっていることはできるが、新しいことは記憶できない。
介護認定を受けている。歩行、着替え、食事、トイレは自分でできる。
ふだんは、日中、デイサービスで過ごしている。帰宅願望が強い。家が好き。庭いじりが好き。
他人や権威のある人の言うことは、外面がいいので聞くかもしれないが、自分の思い通りにならないと、興奮して、攻撃的になることがある……

入院にすることにより、認知症が進むこと、筋力の低下により歩けなくなること、今できることができなくなることの不安を伝える。

先生は、さきほど伝えてくれた心臓の問題の究明があること、陽性者であること、現在の状態では家庭での看護は難しいことから、入院治療の対象になること、陽性患者を受け入れる病床や施設が限られていること、この病院も満室だったが、先ほど、「男性1床」が空いたこと、今なら、この病院に入院できること、それが埋まってしまったら、入院を希望しても、受け入れ先がどこになるか、すぐに見つかるかどうかもわからないことを、伝えてくれた。

(男性1床!)

救急車の中でも、陽性患者の救急を受け入れができる病院を探すのに時間がかかり、救急治療はできるが、ベッドは空いていないので入院先は別になるかもしれないと聞かされていた。
それが、今、空いたというのだ。

(迷っている時間はない)

「お願いします!」

先生も、
「とりあえず入院して検査をして、症状を見ながら考えましょう。それがいいです」
と言ってくださった。

すごい運。すごいタイミング。

◆入院

そこからの話が、さらにリアルだった。
入院中に起こる、最悪のことが想定された、いくつものことが、耳にあてたスマホから、淡々と聞こえてくる。

延命治療に関することも。
心臓に何かあった場合の措置を施すには、開腹手術が必要で、父は高齢すぎて体力もなく、逆に負担がかかるというような説明も。

確かにそのとおりだと感じた。
つまりは、そのまま……ということなのだと思い、そのことに、

(私は今、同意するということなのだろうか?)
(父が亡くなりかけたとしても、病室に行くこともできず、呼んでももらえないということだろうか?)

と、まわらない頭で考える。

(最期のときに、そばにいられないということに、私は同意しようとしているのだろうか?)

***

先生との電話が終わると、しばらくして看護師さんが入ってきた。
入院の準備ができたら、父をそちらに運ぶという。

「娘さんは濃厚接触者なので、病院内には入れません。入院に関する書類は、後日、記入していただきます。病室の準備ができしだい、お父さんは移動しますが、この部屋を出たら、退院するまで、お父さんには会えません」

その言葉は、「亡くなるときも会えません。亡くなってからも会えません」というふうに聞こえる。

父は、呼びかけると、目を開けて、二語文程度を返せるようになっていたが、入れ歯を使っている人が、入れ歯なしで話をしているような、ふがふがした感じで、ろれつがまわっていない。

(脳梗塞などではないのだろうか?)
(体は動くのだろうか? 麻痺しているのではないだろうか?)

その心配を、看護師さんにぶちまける。

もとの父は、このようなしゃべり方ではないこと。もっと、テンポが速く、どちらかといえば圧力的な、力強い声だということ。脳梗塞などの疾患の心配はないかということ。
今、横たわっているけれど、このまま、自分で体を動かせないこともあるのではないかと心配なこと。

看護師さんは、先生はぜんぶ調べてくださるので大丈夫ですと、言ってくださる。

点滴をつけたまま、横たわる父を見ながら、退院して戻ってくるときは、いろんなことを忘れて、別人のようになっているかもしれないことや、もしかすると、このままになってしまう可能性もあるということを、思う。

病気療養中の母を介護していた父に認知症の症状が現れたのは、何年前だろう?
突然人格が変わり、妄想が出て、暴力が始まったため、母の身を守るために実家に戻り、父を病院に連れていき、介護認定を受け、デイサービスを探し、認知症のことを調べ、介護の講座に行き、走り回った。

父の口から発せられる、信じられないような妄想と呪詛と攻撃的な症状が、少し落ち着いたころ、今度は母の症状が悪化し、入院することになった。

そのとき、長男は高校3年生、長女は中学3年生だったが、四の五の考えている猶予はなく、母の入院手続きをすませたあと、そのまま実家に、単身赴任する。
その日から、一日も自宅に戻れなくなり、母が退院して、落ち着いたら……と思っているうちに、そんな日は来ず、退院を一週間後に控えて、症状が急変した母は亡くなり、ずっと実家にいる。

父は、攻撃的になるタイプの困った認知症だったので、問題行動があり、発作的な妄想や、徘徊や、いきなりの豹変で、理不尽な言いがかりをつけられることや、夜中に何度も起こされて、意味不明な叱責を2時間ほど浴びせられることや、出ていけと言われることなどが勃発的に起こり、私自身の感情の行き場がなくなることや、怒りが爆発することも多々。

(なぜ、私は、父と生活を選択しているのだろう?)

と、自問自答する。

もちろん、健やかで穏やかな時間や、父の姿勢から学ぶこともある。
必要なことが起きているのだと考えることもできる。

(でも、なぜ?)
(この先何十年もの未来がある、思春期の子供たちと一緒に過ごさないことで、子供たちのほうに、よくない影響があるとしたら、そちらのほうが、とりかえしがつかないことではないだろうか?)

そう思うと、やりきれない気持ちになる。

***

母の身を守るため、考える間もなく実家に戻ったというのが、きっかけだった。
考える時間があったら、始まっていない。

始まってしまったら、もはや、デイサービスからも脱走するような父に、ショートステイはおろか、施設入所は難しく、残りの家族がまきこまれたという状況だ。

母は、そんな父を置いて急逝し、暴君の父から解放されて、よほど自由で楽しいのか、父をまったく迎えに来ない。

なぜ、子供を置き去りにして、父を選んでいるのか?
ご先祖様のお守りの中で生きていること。祖父母は子供にとって「根」であること、「根」を切ってしまってはダメなことを、直感で感じるからだと思う。

加えて、急逝した母に対して、できなかったことや心残りなことがぬぐえないため、父に関しては、常に、できることを全力でやっている。

だから、朝、デイサービスを送り出すとき、いつ、何があっても、心残りはない、という気持ちでいる。

4年以上もの介護生活で、そのための時間があるのは、きっと、ありがたいことなのだろうと感じる。

(いつ、何があっても)
(それが、今でも?)

そう思うと、こんな、何もない簡易なプレハブで、ほとんど思考能力のない父を前にして、父は、どうなのだろう? という想いが、ひたひたと寄せてくる。

最後に交わした言葉はなんだっただろう? ということや、庭に出るという父を、無理にでも布団に入れればよかったのか? ということや、いやいや、私の言うことを聞く人ではない、という思いや、では、もっと頻繁に様子を見に行けばよかったのか? ということや、なんで、このようなことになっているのだろう? ということや……

そんな思いの中、

「この部屋を出たら、もう会えません」

という看護師さんの言葉に、幾層もの含みがあることも含めて、私は入院に同意するのだと思った。

次に目を覚ましたときには覚えていないと思いながら、ベッドに近づいて、父に言葉をかける。
(それまでは、近づいてはいけないような雰囲気だった)

治療のために入院すること。先生が直してくれるから大丈夫だということ。入院中はお見舞いにこれないこと。

父は、こちらを見て、うなずく。
からだにもふれておこうと思った。手も握っておく。

(冷たい……)

職員のかたが入ってきて、父を病棟に運ぶという。
私は、病棟には入れないので、このプレハブから出たら、そのまま帰るよう指示された。
のちほど主治医から連絡があるとのこと。
保健所からの連絡もあるだろう。

運ばれていく父にすがるように追いかけ、プレハブを出る。
病棟の廊下を運ばれていく父が、廊下の向こうに消えるまで見送る。

誰もいなくなった。
プレハブの中にも。外にも。

(つづく)

浜田えみな

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