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ことだまファンファーレ1(かよさん・前編)~高野山~

高野山 (1)

「11月21日などいかがですか? 弘法大師さまの日です」
そう言って、佳代さんが日時を決めてくれた。
神様が、佳代さんによって、ご先祖様の御守りに導いてくださったと感じる時間だった。

◆高野山とのご縁
◆「よ」のことだま
◆ここから始まり

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◆高野山とのご縁

ことだま師®︎&ひめカードリーダー仲間の仲谷佳代さんに、高野山に連れていっていただいた。
神様が、佳代さんによって、ご先祖様の御守りに導いてくださったのだと感じる時間だった。

というのも、両親が徳島の出身で、幼いころから田舎に行くたびに、四国の人々にとって、お遍路さんとお接待の精神は日常であり、弘法大師は特別な存在だと感じていたからだ。
私の出産予定日が、弘法大師がご入定された3月21日だったので、母方の祖母が「お大師様の御守りがある」と、たいへん喜んでいたことは、何度も母から聴かされた。
実際は、ひと月早い2月21日に生まれたけれど、祖母にとって、初孫の誕生日が21日というのは、とても嬉しいことだったようで、「21日は、お大師さんの日やけん、お守りがある」と、ずっと言われてきた。

また、父方の祖父は修験道の行者で、剣山や高野山で修行をしていたという。
用向きはわからないが、祖父が亡くなってから、家族で高野山を訪れ、宿坊で泊まったことがある。
祖父が後年、どういう志を持ち、修験道の道を目指したのか、聴いておけばよかったと思う。

私が覚えているのは、山伏の装束とほら貝を見せてくれた祖父と、亡くなったらその恰好をさせてほしいと言っていたことだけだ。そして、本当に、そのとおりのお葬式だった。

祖父は、弘一(ひろいち)という名前で、弘法大師から一字をいただいている。
(ちなみに、私の名前は、長男である伯父が弓代と名付けてくれ、妹は、父が祖父から一字をいただき、弘美というので、弓つながり)
そんなこともあり、祖父が修行をした高野山は、私にとって、祖父と、両親や祖父母、ご先祖様の生まれた土地と、つながりの深い地だと感じる。

とはいえ、なかなか訪れる機会もないままだったのに、今、お詣りすることができたのは、みえない大きな力が、佳代さんを通じて、導いてくださったからだと思う。

◆「よ」のことだま

ご縁をいただき、お話するようになってから、佳代さんはずっと、

「和歌山をご案内したい、〇〇を観てもらいたい、ぜひ、△△にお連れしたい、高野山に行きませんか、落ち着いたらぜひ……」

と、言い続けてくださっていた。

このような会話を繰り返しながら、何年も会っていない人がいる中で、佳代さんに会えたのは、LAS式ソウルコーチの認定試験の合格がわかってすぐ、お祝いのメッセージと共に、

「11月21日などいかがですか? 弘法大師さまの日です」

と日時を決めてくださったからだ。

「よ」ということだまを持つ人との出逢いは、

〈ご先祖様の御守りをいただける音〉
〈使命に導く道をサポートしてくださる音〉

だと、感じている。
ちなみに、父方の祖母は、「トヨノ」、母方の祖母は「ヨシノ」、夫は「みつよし」という名前なので、「よ」のことだまは、私の人生を照らし、あたためてくれるという実感が、いつもある。

今回の高野山は、もう一人、一緒に行くはずだった人がいた。
ご予定があったので、三人旅は叶わなかったけれど、同じく、ことだま師®︎・ひめカードリーダー仲間の美奈子さんだ。

美奈子さんはガラス作家で、ひめ神のピアスや、勾玉を創っていただき、私のブログに何度か登場している。
えみなの名前と、二つの音が同じなので、お名前を呼ばせていただくと、ことだまに秘められた使命が共鳴し、活性化されるのを感じる。

佳代さんと美奈子さんは、LAS式ソウルコーチのモニター1番、2番を務めてくださり、その素晴らしいセッションが、その後の50回につながる駆動力となってくれた。
承諾をいただいたので、そのときのことと感想を、ブログに書いている。

後に、ことだま師®・ひめリーダー仲間の容子(ようこ)さんが、美奈子さんと私をつないでくださったことを知り、「よ」のことだまが繋ぐ力の深さを感じている。
容子さんは、モニター8番。
大きな気づきをいただいたセッションだった。
容子さんの感想も、承諾をいただいてブログに掲載している。

「よ」のことだまは、私の人生を照らし、あたため、使命につながる魂の道を、サポートしてくれる。

◆ここから始まり

前置きがすっかり長くなってしまったけれど、いよいよ、当日。
高野山は、市内よりマイナス5度くらいで、夏場でも涼しいと言われている。
調べると11月下旬は真冬並みと書かれていたので、寒さが何よりも苦手な私は、ダウンコートや手袋を用意した。

「橋本」という駅に佳代さんが迎えに来てくださるので、私の住む大阪からは、南海高野線で行く。
橋本駅に近づくと、あたりの景色が、いきなり山深くなってきて、窓いっぱいに深い緑が広がり、車内の若い人たちから歓声があがった。
私も、同じ気持ち。

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高野山へ向かう観光列車の「天空」が、発車を待っていたので、写真を撮った。
私たちは電車ではなく、佳代さんの運転で、高野山を目指す。

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佳代さんとリアルで会うのは初めてだ。

(ものすごく美しくピントがあって、凝縮されていてびっくりした)

というのが第一声だ。
接続環境のせいなのか、ウェブカメラの精度なのか、zoomのビューに写る画像は粒子が粗く、ライトの状態もよくなく、しかも私が老眼なので、ちゃんと見えていなかったことがわかった。

初めて会うのに、佳代さんは、なぜか、「小学校の時の旧友と数十年ぶりに会うような安心感」があり、それはつまり、「ルーツとなる体験を共有してきたような信頼感」だと感じている自分が、不思議だった。

佳代さんが、ご自身の棚卸しと振り返りのために紡がれた「世界観ブログ」を、愛読していたからだと思う。

そのブログの中で、小さな佳代さんと、小さな私は、パラレルの世界で同時に生きていた。
その記憶へ運んでくれる筆致を、佳代さんはお持ちで、大きな佳代さんが小さな佳代さんを癒すたびに、小さな私も同様に癒され、それがすごくありがたかった。

小さな佳代さんと小さな私が、手をつないで一緒に遊んだ感覚のまま、その手が、今の佳代さんと私にバトンタッチされている。そんなふうに感じてならなかった。

高野山に着くまでの1時間ほどのドライブのあいだ、ずーーーーーーーーーーーーっと、おしゃべり。
ありがたいことに渋滞もなく、満車の駐車場も、タイミングよく出庫する車があり、入れ替わりで停めることができた。
日ごろの佳代さんの信心深さの賜物だと思う。

高野山の気温は、13度以上あり、コートのいらないあたたかさだった。
用意した手袋も、ダウンコートも、車の中に残したままで大丈夫。

私は、せっかくの高野山詣りなのに、あまり予習もせず、どこがどういう場所なのかもわからず、佳代さんに教えていただくままに、あっちを観たり、こっちを観たり。

最初に、奥の院に連れていっていただいた。
参道は、まっすぐな杉が天をつないでいる。

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最後の橋は、御廟橋と呼ばれる石橋だ。
この橋の向こうに、現在もなお、弘法大師さまは生きていらっしゃるのだという。
橋を渡る前と後では、大きく変わるから、渡る前に写真を撮っておこうと佳代さんが言ってくださり、言われるままに立つ。ビフォー(笑)

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この橋の一枚一枚の裏に梵字が記されていると、佳代さんが教えてくださったので、ゆっくり踏みしめながら渡る。
後で調べると、36の橋板には、仏様を表す梵字が裏に刻まれていて、天気の良い日は、川面に映るのだそうだ。

お線香とろうそくを供えるやりかたも、佳代さんが教えてくださったので、言われたとおりに行う。

線香にも、特別な思いがある。
父の生家は、徳島県名西郡の本根川という山深いところで、私が子どものころは、急流を利用した祖父の水車小屋が、まだ残っていた。後になって、線香を作っていて、父も手伝っていたと聴いた。
水車の力で、原料となる杉とタブの葉を轢いていたのだ。

お詣りをする人の中には、お遍路さんの装束のかたもたくさんいらした。
四国八十八か所まわりを満願されたあと、お礼の報告に高野山を訪れるのだと知った。
「同行二人」という言葉があるように、お大使様が、いつも寄り添ってくださるのだという。
高野山をお詣りするときも、弘法大使様が、一の橋まで出迎えてくださり、帰りも送ってくださるそうだ。

佳代さんがお昼にと考えてくださっていた、ごま豆腐のお店は、たいへんな人気で、1時を過ぎてもなお、1時間間以上の待ち時間の列が続いていたので、別のお店を探して歩いた。
すると、それまでたくさんの人がいた気配なのに、ぽっかりと空いたお店があり、待ち並ぶ人に急き立てられることもなく、貸し切りみたいに落ち着いた空間で、ゆっくりごはんをいただくことができた。

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やわらかく似た鶏と大根。お吸い物のお出しも、あたたかく染み入り、やさしい味のお昼だった。
高野山にいることを忘れて、いくらでも話せてしまう、佳代さんと私。
残り時間が少なくなり、高野山をまわるか、弘法大師を高野山に導き、その地を授けたとされる丹生都比売神社にお詣りするかどちらがいいかと尋ねられ、こういうときに選べない私は、佳代さんにおまかせした。

「えみなさんは、きっと〇〇がお好きだと思う」
「えみなさんに、〇〇を感じてほしい」
「えみなさんにとって、〇〇だと思う」

佳代さんは、どんなときも、こんなふうに言ってくださり、深く思ってくださる気持ちが伝わってくる。

一日ではまわりきれないほど広い高野山は、あらためて訪れることにして、丹生都比売神社へ。
高野山については何も調べてこなかったのに、名物についてはしっかり調べ、焼餅のお店が多いことを佳代さんに話したところ、いくつも食べ比べた佳代さんイチオシの「上きしや」さんに連れていってくださった。
歴史を感じるたたずまい。

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往路で立ち寄せなかった大門にも寄ってくださった。
車を止めて、坂の下から、大門を眺める。

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奥の院をお詣りしたときは、青空が広がり、さんさんと降り注いでいた陽ざしは、いつのまにか陰り、曇り空になっていたけれど、見上げる大門に紅葉が映えている。

表に回ると、あうんの金剛力士像。

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高野山は何度も焼失しているので、三百年ほど前のものだそうだ。
佳代さんと写真を撮っていないことに気付き、慣れない自撮りを行うも、下手すぎる私たち。
顔が大きすぎたり、はみ出たり。
自撮りをあきらめ、近くにいらしたかたに、記念に撮っていただいた。

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【ことだまファンファーレ1(佳代さん・後編)~丹生都比売神社~】へつづく。
いよいよ、ファンファーレは、クライマックスへ。

浜田えみな

ことだまファンファーレ連載中です。


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ライフワークである「名前のことだま®︎」と、和の叡智「ひふみの道」を伝える連載、【名前のことだま®︎50音と「ひふみの道」で魂の望みを生きる】のまとめ読みです。連載中です。

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