192.LAS式ソウルコーチへの道 ep.48 巣立ち ~さみしさの顕現~
これからは、モニターセッションという看板もない。
50回という目標もない。
〇月〇日までという期限もない。
(自由)
見晴らす景色のはるかどこにも、壁がない。ゴールもない。
どこまでも遠く、どこまでも高く、どこまでも広い。
(果てを決めるのは自分)
***
魂の望みとつながることは、深い場所にある本質におりていくこと。
それは、とても繊細なものと隣り合わせだったりする。
ソウルコーチは、究極のヒーリングだと感じている。
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(承前)
◆なんなのだろう?
合格発表のあとのお話で、
「ソウルコーチとして、開業する人」
と綜海さんがおっしゃったとき、私は、手をあげられなかった。
会社に勤めているので、開業しないからだ。
そんなことは、最初からわかった上で、受講している。
50セッションやると決めたときにも、考えた。
50セッションやっているときにも、考えた。
認定試験を受けると決めたときにも、考えた。
(認定をいただいても、できないのに?)
終わってからのことを決めるときにも、考えた。
(会社を辞めないのに?)
そんなことは、最初からわかっている。
だけど、手を挙げられなかったとき、自分に落胆した。
6か月間、ご指導いただき、決して楽ではない課題を提出し、自分を承認する気持ちも体感でき、このように手厚い認定試験を受験することができ、晴れて認定され、感謝と歓びと安堵があふれている場で、手をあげて胸を張り、応えることができず、エネルギーを止めている。
この9か月間の最高峰ともいえる場で、ひざの上に手を置いたまま、失速していく私って……
(しかも、最前列で!)
(なんなのだろう?)
という気持ちに、浸食されていく。
(情けなさ? 恥かしさ? 失意? 無力感? 無価値観?)
消えない。
(しかたがないなあ)
と思った。
手をあげていない人は、ほかにも何人かいて、みなさん、それぞれの事情がおありだと思う。
綜海さんは、「ご自身をほめてあげて」とおっしゃった。
「みんな、セッションのあと、毎回、ちゃんと、自分のことをほめた?」と。
このとき初めて、ふりかえりシートの最後に、その項目があった理由がわかった。
(しまった)
と思った。
「最後に自分を褒めて差し上げてください」という、その項目を、私はほとんど記入していないからだ。
内省する言葉なら、山のようにあふれてくる。
気づきも、ある。受け取ったものも、ある。感動が、ある。
セッションが終わると、メモを見ながら、覚えている限りのことを、実況中継並みにワードに打ち込み、そこから、必要なところを抜き出して、ふりかえりシートを作成していた。
だから、時間がかかり、最後の問題になるころには、自分をほめる脳力なんて、もう残っていなかったこともある。
自分のことだから、どうでもいいと、感じていたこともある。
やるのがあたりまえなのにと、感じていたこともある。
自分をほめることになれていないから、単純な言葉しか思い浮かばず、わざとらしくて、抵抗を感じたこともある。
だけど、どんな言葉でもいいから、最後にひとこと、自分に向けて、声をかけ続けることが、大切だったのだと、わかった。
(どの設問にも、綜海さんの意図がある)
(それを、やっていなかった)
(きちんと、終わっていなかった)
(自分を大切にしていなかった)
(そういうことなんだな)
と思った。
やったことを、ほめてこなかったこと。
それは、蕾を結ぶまで育てた花を、愛でて咲かせることなく、放置したままでいたことだと感じた。
50本の蕾が見えた。
自分をほめることがでたら、きっと、蕾はひらいて、花が揺れる景色に変わる気がする。
今からでも、シートの空欄になっている場所に、自分をほめる言葉を書こう。
◆さみしさの顕現
(なんなのだろう?)
認定式で出現した、追い払おうとしても消えない気持ちは、ずっと続いていた。
帰りの新幹線は、京都まで一緒に帰る仲間がいてくれて、食べることも忘れて、ずっと話をしていたから紛れていたけれど、やっぱり、消えない。
(なんなのだろう?)
深く感じてみた。
(自分でどうにもできない気持ち)
(PMSみたいな。めそめそした気持ち)
(こんなおめでたい日に、なんなのだろう?)
(わたしは、なんて、しょうもないのだろう)
そんなことを思っていたら、ふいに光景が見えた。
(巣立ちの空)
(ひとり立つ、心もとなさ)
これからは、モニターセッションという看板もない。
50回という目標もない。
〇月〇日までという期限もない。
(自由)
見晴らす景色のはるかどこにも、壁がない。ゴールもない。
どこまでも遠く、どこまでも高く、どこまでも広い。
(果てを決めるのは自分)
*******************
雲一つない紺碧の空が
冴え冴えと澄み切って
ただ哀しいのは
果てない心もとなさと
さみしさの顕現
その空に羽ばたいたら
果てを決めるのは自分
独り
誰のせいにもできない
引き換えに決別したものを
今は、振り返れない
*******************
胸の中に浮かぶ心象風景を、言葉にしようと思い、ずいぶん前に書いたものだ。
このような分離感が、いつもある。
デジャブのように訪れ、静かな波のように寄せてくる。
(この気持ちだったのだ)
とわかった。
巣立ちの空の高さと広さにくらべて、自分の翼はあまりにも生まれたてで、嬉しさよりも、同時に生まれた、「心もとなさ」と、認定試験という場を目指してやってきた仲間との「分離感」を、ずっと感じていたのだとわかったら、急に元気になった。
さみしさは、私のデフォルトだからだ。
分離感の源をたどると、魂の記憶にふれる。
魂の望みとつながることは、深い場所にある本質におりていくこと。
それは、とても繊細なものと隣り合わせだったりする。
ソウルコーチは、究極のヒーリングだと感じている。
(今、私はどんな表情をしているのだろう?)
記念に、写しておこうと思った。
「浜田えみな。ソウルコーチです」
浜田えみな
⑤ 『LAS式ソウルコーチへの道 ep.49 魂の望みとつながる』に、つづきます。
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