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462.いのちのお話会 いのちが地球に降りるとき 〜Birth Place(2023.12.10)


ヒツキアメツチの大橋 和さんと、岡 麗さんが、京都 鞍馬で開催された2daysのお話会の初日「いのちのお話会 いのちが地球に降りるとき 〜Birth Place」に参加した。
 
現在、鎌倉にお住まいの麗さんとは、和さんのいくつかのオンラインワークショップでご一緒していて、シェアしてくださるお話に魅了され、いつも引き込まれている。
 
その憧れの麗さんが、〈ノベルセラピスト〉だということを知り、勇気を出して、フェイスブックにお友達申請をして、「お会いする日を楽しみにしています」と、メッセージを送った翌日、麗さんが鞍馬でお話会をされるという投稿が飛び込んできた。
 
開催場所と日時を確認して、(行ける! 会える!)とわかった瞬間、どんなお話会なのか、内容もわからないまま、(麗さんと会える!)ということに夢中になり、すぐに申込をする。
 
会いたいと思った翌日に、会えることが決まるという速さとタイミング。
距離と時間という三次元の壁が、最近、どんどん消えていくのを感じる。
 
ところが、意気揚々で申し込み、お話会が楽しみで、嬉しくてたまらなかったのに、11月に入って、突然、体調を崩して動けなくなり、身体も心も後ろ向きに。
 
そして、お話会の内容が、「いのちのお話会」だと知り……。
 
(動揺する)
 
6月に鎌倉で開催された「いのちのお話会」の投稿で、麗さんが赤ちゃんのお人形を抱っこしているのを目にしたとき、なぜか、いたたまれないような、たまらない気持ちと、抵抗のようなものが湧き上がってきて、すぐにスクロールしたからだ。
 
なぜ、そうなのか、その感情はなんなのか、湧き上がってきたものを、さぐろうともせず、さぐりたくもなく、言語化できない「ぐるぐる」から、逃げ出すことを選ぶ。
 
その後も、その画像があがってくるたび、目をそらしていたのに、鞍馬で開催されるのは、「そのお話会」だという。
赤ちゃんもやってくる。
 
(こわい?)
(抵抗?)
(痛み?)
(きず?)

 
誰かに話しても、うまく伝えられない気がしたから、話していない。
赤ちゃんにフォーカスされても、母にフォーカスされても、インナーチャイルドのケアをすすめられても、ちがうと思ったし。
 
(どうしよう、どうしよう)と、迷い続けていた。
 
ところが、12月になり、体調が快復すると、後ろ向きな気持ちは吹き飛んで、急に晴れやかになり、鞍馬に行くことに、迷いがなくなる。
 
そうして、訪れた12月10日。
 
お話会でいちばんびっくりしたこと。
 
赤ちゃんがかわいかったこと。
なんともいえず、かわいくて、かわいくて、たまらなかったこと。
 
「ぴょんちゃん」という名前なのだそう。
 
写真でみているとき、感じていたのは、「畏怖」だったと、わかる。
 
(いのちに対する、畏怖)
 
だけど、麗さんの膝の上にいるぴょんちゃんは、ぜんぜんこわくなくて、かわいくて、かわいくて。
きゅんきゅんしていて、微笑んでいて、得意げで、目が、きらきらしていて。
 
(声が聴こえる)
(いのちが宿っている)

 
そう感じた。


お話会が終わって、ひとりずつ、感じたことをシェアする時間をとってくださり、自分の番になったとき、
 
(いちばん強く感じていることは、その場にそぐわない)
 
と、とっさに感じて、別のことを話した。
 
すかさず、和さんから、
 
「感想文ではなく、感じていることを」
 
と言われて、最初は、混乱して、頭がまっしろになって、どうしていいかわからなくて、途方にくれて、時間がかかったけれど、
 
「今、感じていること。今のえみなさんではなく、何歳のえみなさんですか?」
 
と声をかけていただき、母のおなかの中にいるときの自分や、妊娠中の自分や、出産のときの自分を経て、
 
〈いたたまれないような、たまらない気持ち〉
 
に包まれた自分と赤ちゃんのそばに、24年経って、降り立つことができた。
 
(とんでもないことをした)
 
と思ったのだ。
 
里帰り出産で、出産までの一週間、実家の2階の和室に、一組の布団を敷いて寝ていた。
退院して初めての夜、その部屋に並べられた、小さなベビー布団。
 
(いなかったものが、いる)
(すごいことを、してしまった)
(失ったら困るもの、何があっても守りたいものを、手にしてしまった)
(地震が起こったら、どうやって逃げようか、何を持って逃げようか、こんなに小さかったら、どうなるだろう)
(戦争は起こらないだろうか)
(ずっと平和だろうか)
(健やかだろうか)
(どうしよう。産みだしてしまった)

 
分娩室で、初めてご対面したとき、思わずとびだした、
 
「かわいーーーーーーーっ」
 
の連呼は、もはや、遠く。
歓びよりも、かわいさよりも、
 
(いなかったものが、肉体を持って存在し、鼓動している)
(いのちへの畏怖)

 
という、産み出したことの責任の重さに、ひしひしと心細くて、泣きそうだったことを思い出す。
 
ささやかな抵抗として、一瞬、背中を向けてみたり。
すぐに向き直って、小さな指にふれてみたり。
ほっぺたを、つついてみたり。
 
心もとない気持ちを支えてくれたのは、なにも言わないし、寝ているだけなのに、〈圧倒的なひかり〉を持って、存在している、小さないのち。
 
いのちによって、怖さや、心細さが、変容していくプロセスを、鞍馬のお話会から戻った夜、ふたたび、たどる。
 
母が、同じように、赤ちゃんの私に勇気づけられたときのことを話してくれた声が、かさなる。
 
********
 
お話会の前夜。
 
会場付近をマップで見ていたら、「由岐神社」というお社があり、子どもを抱いた狛犬がいらっしゃると書かれていたので、お詣りに行くと決める。
 
当日、1時間前に鞍馬到着。




マップではわからなかったけれど、鞍馬山の山門の先は、すごい坂。
悲鳴をあげながら登り、汗だくになる。
 


岐神社の趣のある拝殿は、中央に通路がとおり、左右に分かれている。
「割拝殿」という珍しい形式だ。



すぐに見つかると思っていた狛犬が、どこにも見当たらないので、社務所のかたに尋ねると、「神様と一緒にお祀りされているので、見ることはできない」と言われて、がっくり。

だけど、いとおしげに赤ちゃんを抱く麗さんのお写真と、子どもを抱いた狛犬のお姿がかさなり、やわらかな心持ちで、ふたたび本殿前で、静かに手をあわせる。

帰宅後、あらためてHPの画像を見ると、狛犬は、本殿の両脇にいらっしゃるようだ。
また、神社にいらっしゃるのはレプリカで、現物は京都国立博物館に寄託されていると書かれた投稿もある。
 
本殿で、手を合わせたのだから、気がつくはずなのに……と思うし、「神様と一緒にお祀りされていること」と、「博物館に寄託していること」は、かみあわない気がする。
 
気になるので検索していると、「令和4年に本殿の修復工事が行われた」という記事を見つけ、修復工事後の本殿の脇に、「狛犬が置かれていない」写真を見つけて、すっきり。
 
この工事によって、本殿の両脇にいらした一対の狛犬は、社務所のかたがおっしゃった「神様と一緒にお祀りされている」場所へ移されたのだろうと、推測する。

子どもを抱いた狛犬には逢えなかったけれど、ぴょんちゃんを抱っこさせてもらって、感じて、思い出して、抱きしめることができた。
 
たくさんのご加護と、かけがえのない贈り物。


和さん
麗さん 
オーガナイズしてくださった恭子さん
参加してくださったみなさん
関わってくださったすべてのみなさん
 
ありがとうございます。
 
浜田えみな


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