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50.抵抗が具現化するとき ~魂の記憶への道~

そうだと気づかない「抵抗」がある。
たとえば、自分がふれたくないことに話が及びそうになると、眠くなるとか。
ワークが出ても、やらないままでいるとか。

見たくないんだろうな。
考えたくないんだろうな。
「抵抗」なんだろうな。

と思う。

先日、最初はグループで、そして、今は個人で、定期的にサポートを受けているかたとのセッションで、「それは、どんな感じですか?」と訊かれたので、考えてみた。

「近くに来ないでっていう感じです」
「じゃあ、思い切り、あっちへ行ってって突き放してみて」

ところが、できる気がしない。
近くに来るのは嫌なのに、突き飛ばして、見えないところに行ってしまうのは嫌なのだ。

「突き飛ばしたら、遠くに離れてしまうから、できません」

不思議なのだが、どうしても、できないと思った。

「入ってこられるのは嫌だけど、遠くに行ってほしくないんです。ちょっとだけ離れていればいいんです」
「それでも、押してみて」
「押せません」
「押してみて」
「ちょっとだけでいいですか。遠くに行かないくらい、ちょっとだけ」

「入ってきたら、どう感じますか?」
「乗っ取られる感じ」
「入ってきたら、どうなりますか?」
「いやです」

ところが、「いやです」と言ったとたん、入ってきても大丈夫かもしれないと思い始めた。

「いやじゃないかも」

そうしたら、それが、入ってくるような感じがした。
入ってきたら、マーブル模様みたいなものが見え、混ざり合うように溶け合った。

(なにこれ?)

「それが何かとかは、考えなくていいんです」

(なんだったのだろう?)

とにかく、何かが入ってきて、一つに混じりあったことがわかった。

胸とおへそに手をあてると、その手が熱くなってきた。
おなかの中も、あったかい。大きな丸い塊を抱いているみたい。

何かが、統合されたような気がした。
何だったのだろう?

考えなくていいと言われたし、考えてもわからない。

自分で口にして不思議だったのは、入ってこられるのは嫌なのに、遠くに離れてしまうのは、もっといやだと感じたこと。

ほんの少し離れたところで、そばにいてほしいと思ったこと。

(なんだったのだろう?)

わからないけど、入ってきて、ひとつになった。

今まで、見えなかったから対処できなかった。
ヴィジュアルで見えると、プロセスを言語化できるし、実感できる。
とても強くなった感じ。

***

この体験の前には、多くの布石があると感じる。

さまざまな方面からサポートしていただくことによって、少しずつ、少しずつ、いろんな気づきや解放が起こり、相乗した流れが、ブロックを超える潮流になる。

山下弘司先生の「ひめ神カード」によって引き出された「魂の記憶」も。
本郷綜海さんに開通させていただいた、「グラウンディング」という「本質に直結する道」も。
本郷綜海さんの「地球村」や、「スピリチュアル・プロフェッショナル養成コース 第10期」での、数々の気づきも。
そして、もう何年もサポートしていただいている、メンターとのセッションも。

どれもが、「同じ場所」につながっている。

どれもが、令和の時代を迎えて、いっせいに、手をつないで、なだれこんできた。
愛しかない。感謝しかない。

まだまだ、これからだ、と感じる。

〈魂の記憶への道〉

浜田えみな



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