Little Cloud

Little Cloud展 レクチャーについて 2019/10/06


 Little Cloud展は4人の若手作家のグループ展で、会場は岡山県岡山市の「上之町會舘」という古びた味わい深いビルの中だった。旅をするときの癖のようなもので、私はその土地にある神社にお参りすることがある。道を歩いていて神社を見つけるとふらりと入る、習慣のようになっているものの、私は参拝の正しい作法は覚えていない。上之町會舘のビルの入口は鳥居をくぐった先にあった。
 
 レクチャーは、各作家の軽い自己紹介から始まった。能勢先生からは作家とその作品に対して、今後の制作を進める上で意識するのが良いと思われる知識や、方向性、可能性についての提案が丁寧に示唆されていった。
若手作家のための一通りのレクチャーが終わると、話の流れは「Little Cloud」という今回の展覧会のタイトルに移った。


 『リトル・クラウド』とは私の感覚からすると、とても可愛らしい響きがする。このタイトルはどのように名づけられたのか私も気になっていた。「リトル・クラウド」と聞くと小さなモコモコした雲が思い浮かぶ。
 能勢先生は「クラウド」という言葉の持つ印象について、最も革新的で一般的な例を挙げられた。それはいつの間にか私たちの生活に根付き、私たちが日常的に利用している『クラウド・コンピューティング(Cloud Computing)』という形態だ。データやアプリケーションの一部がネットワークに繋がった先=『クラウド』の上に存在しているという仕組みである。
 
 そして能勢先生はおもむろに一冊の図録を取り出された。私たちに見せて下さったその図録はある写真家の雲の写真だ。


アルフレッド・スティーグリッツ『stieglitz steichen strand』
 ─雲を撮った最初の写真家として、まず一つの作品を能勢先生は私たちに示される。その図録の一枚の写真のタイトルは『Equivalent』シリーズ だったと思う。その作品を見たとき私はこう考えた。「雲の形それ自体が、作家の心の中に何かを想起させるような形態をしていたのだろうか」と、だが違った。幸いレクチャーは少人数制のクラスのようであったから、私はすぐに質問することができた。能勢先生は力強く教えてくれた『雲の形態そのものが内面とつながっている。内面=雲であり、雲が内面そのものである。それはよりプリミティブな感覚である。』と。

 そういったレクチャーを受けている一方で、私の頭の裏側で『思念・形態』についての考察が駆け巡っていた。S・リングボムは著書『カンディンスキー─抽象絵画と神秘思想─』 (松本透 訳) で、アニー・ベザントとC.W.リードビーターやシュタイナーら神智論者の著作を取り上げ思念と振動について、また振動が及ぼす効果について説明している。この著作は抽象芸術の起源に関わるといわれるカンディンスキーという作家の、正当で貴重な研究資料であり、神秘思想から彼と彼の作品が受けた複雑な影響について詳細に考察されている。
 S・リングボムの著作の、思念と振動にかかわる箇所を僭越ながら以下に要約させていただく。
まず、すべての思考や感情は、振動を引き起こす。神智論者は「思念(思考)や感情」が「自然の高次段階に含まれるより微細な物質」に影響を与え、引き起こす現象について捉えようとした。ここでいう神智論者は、シュタイナーが後に袂を分かったアングロインド系の神智論者のことである。アングロインド系の神智論者は「霊をより微細な物質というかたちで定義する」。「より微細な物質」というのは、原子レベルよりも微細であると思われる。そしてこの「微細な物質」には、①浮遊する形態=人間の高次の体を形成する、と②放射する振動、という特質がある。
 ①浮遊する形態、すなわち人間の高次の体がどのように形成されるかというと、「クラードンの音響盤の上の穀物が、板をはじいて振動させると特定のパターンに組織化されるように、(中略)より微細な物質も、思念と感情の震えによって、一定の形態へと」超感覚的な振動によって「編成される」。超感覚的な振動は、「物理的振動が物質を形作るのと同様に形成力を」持つとされ、アングロインド系の神智論者たちの中では、それらの『振動がすべての自然形態の原因である』という秘教的教説が普及していた。
 ②放出する振動は、「共鳴作用によって、他者の高次の体にも、それに対応する振動をひきおこすこともある」。個々の①浮遊する形態は、自らの性質に合った物質をまとい、「自らを表現するために格好の物質をその周りに引き寄せる」のだ。そしてこの①浮遊する形態は、霊的大気圏に浮遊するように存在すると神智論者たちは考えていたようだ。
 
 他方、アングロインド系の神智論者から離れたシュタイナーの人智学には、ゲーテの強い影響がある。ゲーテは18世紀後半~19世紀前半で興ったロマン主義の、「自然と芸術には共通の法則があり、芸術家は双方の領域に関与することで、それらの法則を自らの作品のなかに開示することができるという観念を、芸術一般に適用するまでに高めた」、そしてシュタイナー、またカンディンスキーもこの観念を引き継いでいる。スティーグリッツの「雲」の作品もまた、ゲーテのロマン主義的な《自然への内的忠誠》を引き継いでいるか、それに属する芸術家の一人なのかもしれない。

 展覧会概要には次のように書き記されている。『─作家と作品、そこに集う人々を小さな雲に準えています。この広い宇宙(そら)ですれ違い、時として出会い同じ夢を見て、また離れてゆく。集合と離散を繰り返すなかで、互いに影響を及ぼし合いながら姿を変え、まだ見ぬ未来へと続くこと。リトル・クラウドとは即ち、無限の可能性のひとつのカタチなのです。』私自身の浮遊する形態が、リトル・クラウド展に引き寄せられたのだろうかと考えると、光栄であるし面映い気持ちになる。

( PEPPERLAND 刊行「FINAL & NEW YEAR LIVE」
(通称・年末パンフ 2019 寄稿 )

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