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丁寧にみること、感じること

めのまえの、よくわからない何かについての物語を聴く時間。研究の過程で起こったことを追体験したり、想像したりして、もっと知りたくなる。ゆったりと流れる時間のなかで、好きなだけ「よくわからない何か」を味わえるから好きだ。「よくわからない何か」は目の前にある未知な物体であり、膨大な記録であり、初めて見つける自分の想いや気づきだったりする。

2月3日(土)〜 5日(月)の3日間、みなとみらいの BUKATSUDO で開かれている SFC 加藤研究室のフィールドワーク展に、今日行ってきた。

理由はわからないけど、無性に惹かれる展示があった。

加藤研究室のOBOG展「いつもの彼方」より

OBOGの方々が毎年展示しているらしい。雑誌の一面のような、写真集の何気ない一枚のような。ほかにも何種類かあったけれど、この一枚が、好き。

”手先の器用なまるちゃんは、ネイルにも凝っていて、手もとが美しい。”
”目線は、ほとんどいつも、ちょっと先に向いている。”
(写真だと少し見えづらいのだけど、白枠なかの文章の抜粋)

”まるちゃん”と”書き手”は大学時代からの友人どうしだと想像したら....。こんなふうに、友だちの手さきや、手もとや、目線に注目して、観察している素晴らしさ! 私は自分のことに手一杯で、こんなふうに友だちを観察することなんて滅多にない。めのまえで起こる、微妙で繊細な移ろいを観察して、大事に大事に言葉にする、この人の感性が好きだ。

これは、自分の食べるものにこだわりを持つ家族の、食の展示。

野菜はほとんど自家栽培、肉は狩猟したもの、梅干しは瓶詰めにしたものを食べる。内側ほど身近で、外側にいくほど遠い。

これを見たとき、長野での生活を思い出した。さすがに狩猟はしていなかったけれど、野菜はほぼすべておじいちゃんが畑で作ったものを食べていた。庭に梅の木があり、5月に家族で収穫するとおばあちゃんが瓶漬けにして梅干しにしてくれた。おばあちゃんはほかにも、味噌や煮豆をつくるのが上手だった。そしてお米は、米農家のいとこの家から玄米のままもらってきて、軽トラックで精米をしに行っていた。お米をもらうかわりに、我が家のじゃがいもやとうもろこしを持っていって置いてきた。

なんだかまだ書き忘れている気がするけれど、そんな感じで幼少期の私は、産地や製造者がわかる食べ物をナチュラルに食べていたらしい。

でも東京にいるいま、よくスーパーで買うのは値段の安い牛乳と食パンと卵と、インスタントのコーンスープだ。産地や製造者を気にしている余裕はあまりない。でも、経済的に余裕がないのは仕方がないけど、気にする意識がそもそもない、というのはどうなんだろう。

もっと、産地や製造者のことを考えてみてもいいんじゃないか。私の手もとにやってくる1本の牛乳の始まりから今日までを想像してみたら、そこにはたくさんの人とものと動物が絡んでいる。

もう一度、身のまわりのものを丁寧に見てみよう。

繊細で微妙なものの移ろいに目を向けたり、食べるものを選ぶときに、食品がここまで流れてくる物語を想像したり。

毎日を丁寧に、繊細な感性を持って過ごしていきたいなあ、そういう気持ちは、アクティブに動けば動くほど時間がとれずにないがしろにしがちだから、と改めて感じた日でした。

おわり。

#フィールドワーク展 #いろんなみかた #BUKATSUDO #加藤研究室


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