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お下がりが敬遠されていた時代。。。?

今回も蓮池かえるのトンチンカン発言を取り上げたいと思います。

こちらの発言↓

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今はリサイクル着物が当たり前になり…それ以前?それはいつの頃を指摘しているのでしょうね?

着物には前の持ち主の魂が宿るとされていたと言ってますが、そのようなアミニズム的な意識に支配されている時代とは、一体どれくらい昔なのでしょうか?アミニズム的宗教観念は原始的宗教と見做される物ですが、ひょっとすると縄文時代ほど古い時代に言及しているのでしょうか?

着物というのは昭和の第二次世界大戦が終わって高度経済成長期に突入するまでよく着られていました(女性に限る)

昔の庶民の生活を描いた映画やドラマで「大事な着物を質草にしてしまった」などというセリフを聞いた事はないでしょうか?

そうです。江戸時代から先の戦争が終わってしばらくまでは、一般庶民はよく着物をお金に変えていました。

着物はよく流れてしまう品物でした。質草は一時金を借りる為の担保の品ですが、着物はほとんど買い戻されませんでした。

買い戻されないという事は市場に古着としてよく出回っていたという事です。しかも質屋に持ちこまれる品No.1が着物でした。庶民の持ち物で、質屋で預かってくれる品物が着物くらいしかなかったんですね。

昔の古着市場とはどういうものだったのでしょう?1つ皆さんがよくご存知のものがこれに由来してます。

「髙島屋」皆さんよくご存知のハイクラスのデパートです。こちらの成り立ちをご存知ですか?なんと古着屋だったんです!他にも綿・麻素材の生地(これらを太物と呼びます。昔は着物の売り方として絹と太物は売り手が分かれていました。今でハイブランドとファストファッションのブランドが棲み分けているのと同じです。)も扱っていました。

今では皆さんちょっと贅沢する時にご利用かもしれませんが、創業当初は庶民の衣料市場を担う古着屋さんだったんですね〜

古着屋さんが今では高級な品物を扱うデパートになっただなんて、よほど古着販売が儲かったんですね。

江戸時代も明治時代も大正時代も昭和も、ずっとリサイクル着物は多くの庶民に重宝されていたのですが、敬遠されていたというのはいつの時代について言っているのでしょう??

黒紋付に関しては「黒紋付と喪服」の記事でもその背景を申し上げましたが、庶民は借りて着る人が多く、自前の一張羅などはほとんどの人が持ち合わせておりませんでした。貧富の差が激しかったですからね。リサイクル・お下がり・借りる事が敬遠された時代(?)などというのがいつ存在したのか、はっきりとした資料を提示してほしいものです。わたしが挙げた例は多くの人に認知されており、庶民の生活を正しく著した物だという事も知られております。

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