出産と梨と母性
2020年8月末、第一子となる息子を無事に出産することができた。
コロナと共に始まったマタニティライフは
安定期でもどこかに出かけることもできず、
プレママの不安を払拭するもしくは新しい生活に期待を膨らませるようなイベントもことごとくなくなった。
それでも日に日に大きくなるお腹に希望しかなかった。
不安もなかったといえば嘘になるけど、
何が不安なのかもわからなくらい、赤ちゃんとか育児とか未知の世界だったし、大人2人の生活は忙しかった。
妊娠中の思い出は、
初めての車を買ってたくさんドライブしたこと、
近場のホテルでお泊りやアフタヌーンティーを楽しんだこと、
汗だくになりながら夫と自宅の近所をたくさん散歩したこと、
なんてことないことだけれども、今思い出しても愛おしい思い出ばかりだ。
予定日の3週間前くらいから子宮口が2センチくらい空いているというので
早く産まれるかと思ったのだけれどきっちり予定日の夕方に陣痛がきた。
その時夫は家で仕事していて私はベッドでごろごろしていた。
初産はなかなか病院に来させてもらえないと読んでいたので
できるだけ我慢していた。
そんな時も冷静でいられるのが私のいいところで、
包丁で果物の皮を剥けない夫のために、
冷蔵庫にあった梨の皮を剥いたりしていた。
帰宅後無残な姿の梨を見たくなかったからだ。
我が家の地元は梨の産地で有名なのだが、
今でも梨を見ると息子を出産した時を思う。
もう5分間隔になってきた頃に夫に声をかけ、病院にも相談。
夜の10時頃に病院に行くことになりそのまま入院の運びとなった。
ありきたりだが陣痛はものすごい痛くて、痛すぎて一度吐いた。
もう忘れてしまったが、子宮を金棒で内側から遠心力つけてぐるんぐるんされている感じだった。
夫の「がんばれ~」がものすごく不快ですぐに改めてもらった。
こちとりゃ人生最大とも言える痛みに耐えているのだ。
がんばれと応援されてさらに力が出せる、という状況ではない。
明け方まで子宮口が8センチくらいでずっと停滞していた。
8センチまで開いたらすぐにポンと出そうなものだと思っていたのだが、
数分毎の激痛に耐え、猛烈な睡魔に耐え、意識は朦朧としていた。
睡魔に弱い夫も白目を剝きながらフラフラしていたが
どう考えても私の方が辛い。耐えてもらった。
なかなか進まないので陣痛促進剤を打ってもらうこととなった。
するともうドカンドカンと陣痛が至る所で(実際は1カ所だが)勃発していた。意識はさらに朦朧とする。記憶もほとんどない。
意識がマックスに遠のき始めた頃、
いい感じなので分娩台に歩いて移動して上ってください
と言われた。
無理ですと反論する元気すらなく分娩台に向かう。
そこから今度はまた「いきむ」という活動が始まる。
いきみ方がよくわからない。
というか、いきんでみたところで全然出てきやしない。
よく「3回くらいいきんだら出てきました」とか読んでいたからそんなものかと思っていたらそんなものではなかった。
誰か私のお腹から赤ん坊を勝手に取り出してほしいと切に願った。
しかし自分がいきまないとコトが進まなさそうなので仕方なく何度もいきむ。
最後に先生が私のお腹の上に馬乗りになって赤ん坊を押し出していたらしいが私は記憶にない…。
そんな出産劇を経て、赤ん坊は無事にこの世に誕生してくれた。
元気な産声だった。
産まれてすぐに抱っこさせてもらって満身創痍の身体で思ったこと。
それは、
「やあ、君が入っていたんだね、こんにちは。」ということと、
「人間は何も持たずに生まれてくるんだ。でも、すべてを持っている。」
ということ。
そしてなぜか
「やっと会えたね」
と思った。
まるでお腹の中に来る前から既にお互いに知っているかのように。
出産直後はよく言われていることだけれども、
感動というより出産という大仕事を終えた安堵、安心感が勝っていた。
放心状態で暫く夫と数時間過ごした後、病室に向かう。
そして病室のベッドで横になりひとり休んでいると
「ああ、私は子どもを産んだんだ」
という実感がふつふつと湧いてきた。
その時同時に「母性」としか言いようのない気持ちが自分の中に湧いた。
今まで他の誰にも抱いたことがないような、至福感、
大切な存在が存在することの、胸が温かくなるような感じ。
なんと言い表せばいいのかわからないが、確かに自分の中に新しい感覚がその時産まれた。
妊娠中から母ではあるのだが、
出産することでまた違った形に変容する感覚だった。
平たく言うと、自分の子どもが可愛くて仕方がない。
2歳になった今でもだ。
人の子どもも可愛いと思っていたが、
自分の子どもがこんなに可愛いだなんて知らなかった。
よく親孝行とか言うが、
生まれてきてくれただけで、
その存在だけで十分に親孝行してくれている。
いつかきっと私の元を離れて自分の足で歩み始める時まで
傍であなたの成長を見守らせてほしいと思う。