見出し画像

やりたいを散らかすHSS型っぽい人種


とにかくやりたい事が
とっ散らかっているのが
HSS型っぽい人種である。


私は自分のことを
HSS型HSPっぽい人間だと
認識しているが


HSPなんて所詮は
自己判断でしかないので
勝手にそう思うことにしてる。


HSPというのは
繊細すぎて生きづらい人
という風に表現されるが


日本のような先進国に
人間として生まれてきたなら
生きづらくて当然ではないか

そんな思いもよぎったりする。


自分は人とは違って
どこかおかしいのではないか?


そんな疑問を幼少期から
抱いていた私にとっては
HSPという言葉を知った時
すごくホッとした。


やりたいことが
常に溢れかえっていて
あれもこれもと手を出すが
すぐに飽きてしまうし



とてもアクティブかと思えば
急にガクッと落ち込んでしまい


ジェットコースター
のようなテンションで
人生を生きてきた。


職歴も趣味も人間関係も
コロコロ変わりがちであった。


人付き合いも特に好きではなく
少数の気の合う人だけど
つるんでいたいタイプで


大勢の飲み会や同窓会など
絶対に行きたくない場所である。


そんな私の周りには
やはり似たものが集まるのか
HSS型HSEタイプもいたりする。


内向型のHSS型HSPに対し
外交型のHSS型HSEとは


やり散らかすという生き様に
お互い通じ合うものがある。


人が好きなHSEと一緒にいることで
いつの間にか人の輪の中に
放り込まれてることもあり


一人を好む私にとっては
非常に迷惑な話ではあるが
自己主張ができないでいるのも
HSPあるあるかもしれない。


早く帰って一人になりたい…
これはHSPの心の声投票をすれば
1位2位を争うセリフであろう。



こんなこと言ったら迷惑かな…
も候補には上がるかもしれない。


HSEっぽい友人に対しては
私が勝手に相手のことを
ぽいなぁ〜と思ってるだけで



本人は気づいてないのでは
ないだろうかと思っている。


繊細なくせに社交好きなんて
自分でも理解できないだろうし


おそらく本人も
変わっちゃいるが社交的で
人に囲まれてる自分ええやん!

くらいに思ってそうである。



あまり詮索されたくないことを
平気で聞いてくるのもHSEの特徴
のような気がしてはいるが


絶妙にバランス感覚はあるので
なんとも言えない気持ちになるのは
超個人的な偏見かもしれない。


そもそも
私も自分のことをHSPと認める
までは時間がかかった。


世間に馴染んでる風を
長年やってきていると
自分のことなんか
見えちゃいないので


えぇ!私が!この私が!?
そこまで繊細ではないような…
と、ごちゃごちゃ言っていた。


正確に当てはまらないと
私はHSPと名乗ってはいけない
ような気がしていたのだが


HSPなんて勝手に名乗るしかない
どっちでも良いものだと
今では思っている。


HSPというジャンルのおかげで
人と違う自分を受け入れていく
という過程を得ることができる
ので便利に使ったりしている。


人はみんな違うということが
頭では分かっているのに



心の底では人と違う自分が
認められない気がするものである。


ジェンダー差別とか言って
人を受け入れようとする前に
人と違う自分を認めることの方が
よっぽど大切ではないか。


自分が人と違うことを許せたら
人が自分と違うことも許せる

ここが根本である。


そんなこんなだけど
やはり同じHSS型と遭遇すると
なかなか嬉しいものがあり
安心感を感じたりはする。


同じニオイを感じるぞ…
と変人センサーが作動し
謎に居心地が良いのである。


お互いに
あっちこっち向いているので
たまに目があったら会うという
その距離感も好きだったりする。


あぁ、私よりやばい奴いた〜
という安心感もたまには欲しい。


みんな違って、みんないい。


これがどれだけ深い言葉か
知る人はそう多くはないだろう。


最後までお読みいただき、ありがとうございます♡