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他人の幸不幸の責任を取らない生き方


自分と向き合い続けた人なら
腑に落ちてるかもしれないが
多くの人は知らないだろう…


まさか


他人の幸不幸は
自分には一切責任がない


ということを。


親を幸せにする責任もなければ
子供を幸せにする責任もない



そんなことを言われたら
多くの人が


な….!なんて無責任なの!
そんな人道に反している!
と怒るかもしれない。


もちろん
無視して放置しろとは
誰も言ってはいないが。


私もご多分にもれず
そんな感情を抱き


他人の幸不幸の責任を
ずっと背負ってきた。





私は今「やめます」の一言が
言えずにモヤモヤしている。


長年続けた日本舞踊を
手放してしまいたいのだけれど
それができずにいるのは


先生がガッカリしないだろうか…
みんなが残念がらないだろうか…



と他人の感情に責任を取ろうと
してしまうからである。


書いてみて思ったけど
私はみんなから慕われていて
先生からも期待されてる前提があり



自分のことを惜しまれる存在だと
確信しているとこはおめでたい。


案外「そうですか!了解です!」
とあっさり受け入れてくれる
かもしれないが


それはそれで寂しいという
複雑な乙女心もあったり。


相手をガッカリさせそう
という感情を感じたくないために
私は自分の本音は後回しにし


相手をガッカリさせないことに
一生懸命になってたように思う。


本音で生きると決めたらば
誰かをガッカリさせてしまう
のかもしれない…


それならば
本音で生きるなんてせず
誰も悲しまない生き方をする!
という人も多いと思う。


もちろんそれも選択の一つだが
自分を生きてないという感覚は
死ぬまで続くだろう。


私にはどうも
私がいないとみんな寂しいよね?
という謎の観念があるように感じる。


そんな私こそが
一人になるのが寂しいなんて
自分でも気づけなかったりして。


私は昔
自分の元から大好きな人が去って
とても悲しくて、とても苦しくて



置き去りにされたような感覚を
味わったことがある。


あの時きっと
去ってしまうと人が悲しむ
と思ってしまったけれど


過ぎゆくだけのこの世界で
それは不可能に近くて


多くの人が私から去り
多くの人の元を私が去った。


大好きな人が去った時
とても悲しくて、寂しくて
孤独感や大きなショックで
胸が苦しかった。


だからこそ
私は去るのが苦手だ。


今はまだ
他人の感情の責任を取らない
なんて恐ろしくてたまらないけど


私に唯一とれる責任は
自分の感情であり、自分の人生
だということが腑に落ちる日も
近いかもしれない。


全て自分次第だったんだ…
と自分にパワーが戻ってくる。


最後までお読みいただき、ありがとうございます♡