時間はいつも真実だ

時間はいつも真実だと思う。
事実ではない。場所によって、一人一人の感じ方によって、その長さも価値も変わるから。
時間なんてものが存在する意味を考えてみた。

まず第1に、より多くの地域や人たちと意思疎通するツールの1つとして生まれたのだろう。標準時子午線が顕在することが良い証拠だ。そもそも人間はなぜ自分の生息するところの他に目を向けたのだろう。きっと、興味を持つと同時に怖くなったのではないだろうか。人間個人と同様、自分のテリトリー外すなわち外側は不条理だらけだ。(内側だって無慈悲だと思いますが笑)そんな訳で、時間を人間の共通認識とすることで、安心しようとしたのだと考える。
第2に、無意識に形に縛られたいと願う人間の性なのではないだろうか。形のない不安定なものに耐えられなかった、自分の生きた証を明確に知りたいと思ったのかもしれない。昨日、明日という言葉が存在するのも時間という概念が生み出した成果だ。
結局人間は「形」で縛られなければ、浮上する不確定要素に対抗出来ないのだ。対抗する必要性はあるのか。ええ、大いに。不確定なものが漂う状況は、人にとってストレスになる。自分の中で明確に理解出来なければ(理解したふりをしなければ)、恐ろしくて仕方がないのだ。知らないものは怖い、目に見えないものは幻想だと思っている。そんなことは無い。形だって具現化された幻想だ。

それでも時間は真実だとおもう。不安定に耐えられない人間には必要なものだ。どんなに技術が発達しても、時間の概念は残り続けるだろう。
歴史として後世に伝わっていくように。

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