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ついむきになったはなし

私は些細なことで胸が苦しくなる節があり、身の周りのどうだっていいことにも、ついむきになってしまうこの性格だ。
一体どこでどんな経験がこうさせたのか。
まあまあ愚問だ。

今日は雨予報だったのでのんびり起きたのに(いつも通り)カーテンを開けて世の中を覗くと、なんてこった!洗濯物、いけそうじゃんか。
なんだか騙されて損をした気分だった。結局起きた時間はいつも通りなのに、話が違うではないか!と、もう独り言をその世の中に放ってしまい、完全に揚げ足をとった。

ああ、ちがう、あなたは悪くないのよ。反省。

気分は雨の日バージョンで遂行中のため、よし、本でも読もう。
もう10年ほど経ってしまっただろうか、恐ろしい。
中学生のころに限られたお小遣いをなんとなく立ち寄った古本屋で、なんとなく手にとった桃色の表紙の(学生の日常と多感な時期こその葛藤をテーマにした)短編小説を、ついに今日まで読まずにいた。

当時の価値観だと、プリクラを2回撮れる方が勝ってもおかしくない、いや、勝つに決まっていた。
のにも関わらず、うちに招かれてから10年分ベンチをあたためていたと思うと、途端に大御所感を放つその本だ。

実はまだ読み終えていないのだけれど、自分がまだ現役の多感な人間であることに気付かされて、油断していながら急所をつっつかれ、たまらずにタイムアウトをとったところだ。

そして全26篇が攻撃待ちの列に並んでいて、次から次へと舞台が変わっていき、奇しくも自分の手で行列をさばいていた。
散々にかきまぜられた心の忍耐は読み初めの序盤どころかとっくにないはずなのに、数分後にはまたこてんぱにやられているのである。ドMだ。

おまけにまたむきになってしまう、後味が甘酸っぱいのだ。
だから今はまだ気づかないのだろう。

p.s.
2020/06/06 曇りのち雨
というか雷。
生後4ヶ月になる姪を寝かしつけたあと、風の通る場所を見つけて今日も書いてみた。
姪はこれからの経験の中で、何を好きになって、どんな夢をみるんだろう。
普通に気になった。
ああ、普通に愛しているからだ。

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