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広島から臨む未来、広島から顧みる歴史

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広島を基点に考える歴史と未来。 いかにして広島を寛容と対話の地域にしていけるか、などと大それたことを、余所者が考えています。広島にはその可能性が満ち満ちている、と考えていますが、… もっと読む
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#厳島神社

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(14)

元就の本拠 吉田庄『棚守房顕覚書』を見てきて、元就が本拠とした郡山、この郡山という地名は当該本には一度も出てこなかったが、とにかくそこを吉田としようとする動きが感じられたことは何度か触れた。そこで、その吉田というのがいったいどのような経緯で、どのような意味を持って取り上げられてきたのか、その背景を独断と偏見で探ってみたい。 吉田庄の記述 ではまず、吉田庄について、『高田郡史』からみてみたい。 文献整理 ここでそれぞれの文献についてまとめると、 『祇園社記』 『祇園

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(12)

厳島から見る毛利元就2引き続き、『棚守房顕覚書』より、陶隆房の謀反のところから毛利との関わりを追ってみたい。 どうも、祇園社から吉田を”當社”に寄進した毛利の力を用いて、大内が討たれたのを機に勢力を拡大しよう、という意図の元に話を進めているように感じられる。 大内を討った陶が元々仲のよくなかった吉見征伐に出かけ、毛利に助力の催促をしたが、そうはならずに己斐、草津、櫻尾の城をとって神領ヘ向かった、ということか。ここで宮島と當島が別に書かれていることには注目したい。  そし

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(10)

厳島神社から見る毛利元就1ここで、厳島合戦についての基礎資料となる、厳島神社の棚守であった房顕の記した覚書を見てみたい。 『棚守房顕覚書』 まず、旧宮島町発行の『棚守房顕覚書付解説』からその基本的情報を見ておきたい。棚守は厳島神社の奉行を行う職名だとのこと。本姓は厳島宮司家である佐伯で鞍職から二十五代目、景弘からは十五代目に当たるというが、正確には不明だという。陶氏、毛利氏、大内氏の御師職を兼ねていたということだが、社の奉行を行う棚守と代理で祈りを行う御師を兼ねるというの