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広島から臨む未来、広島から顧みる歴史

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広島を基点に考える歴史と未来。 いかにして広島を寛容と対話の地域にしていけるか、などと大それたことを、余所者が考えています。広島にはその可能性が満ち満ちている、と考えていますが、…
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#井上馨

続・広島から顧みる歴史、広島から臨む未来(2)

備後福山1備後地方の中心都市、福山市。駅を降りてすぐに聳える10万石には似つかわしくないほどの立派な天守を構えた福山城。草戸千軒という中世都市の流れを汲み(?)、南には瀬戸内随一の港で、一時期は室町幕府がその居を構えた鞆へとつながるなど、歴史的な要素には事欠かない街ではあるが、見てみると様々な違和感が去来する。結局その違和感のためか、あまり街を見て回ろうという気持ちにもならず、城とその隣の博物館だけを見て終わりにしてしまったので、それで一体何がわかるのか、と言われたら、その通

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(29)

明治十四年『会社条例』草案明治期の法律について見ているが、この時期の話は、日本の歴史のみならず、世界中の近代化への歩みの基礎を定めている時期であったということで、認識の整理が世界中に波及し、情報が錯綜する、ということがリアルタイムで起きている。だから、今見ている情報が確かなもの、固定的なものなのか、ということもなかなか分かりづらく、そして調べるに従って圧力らしきものを感じることも、そして情報が変わったりするように感じることも多々ある。その意味で、今書いている情報も、現段階の整

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(23)

「会社」の勃興期引き続き『日本会社立法の歴史的展開』を見てゆきたい。第1章Ⅳ「会社」の流行 から要約と私見の続きを試みたい。 数字から見る第一次会社勃興時代 明治十(1877)年の西南戦争鎮定後に会社を名乗る企業が急増し、第一次の会社勃興時代が到来したという。掲載された表から見るに、まず、日本銀行条例が制定され、紙幣発行額がピークに達していたと見られる明治十五(1882)年に会社数は3655、見た目ではあるが金融業を除いても3000くらいの会社があったようだ。その後、紙幣