マガジンのカバー画像

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史

37
広島を基点に考える歴史と未来。 いかにして広島を寛容と対話の地域にしていけるか、などと大それたことを、余所者が考えています。広島にはその可能性が満ち満ちている、と考えていますが、… もっと読む
運営しているクリエイター

#大久保利通

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(27)

明治十四年の政変明治十四(1881)年四月、『会社条例』草案が脱稿、同月、太政官が商法典編纂を決し、太政官法制部主管山田顕義は、ドイツ人ヘルマン・レースラーに商法草案の起草を委嘱する。 会社法についての続きだが、明治十年までの『会社条例』草案に関わる動きまで見てきた。その後、明治十年には西南戦争が、そして明治十一年には紀尾井坂の変があり、西郷、大久保という薩摩の両巨頭が相次いで世を去った。 地租改正に伴う混乱 個人的な感覚では、この時期には、まず地租改正に伴う全国的な混

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(25)

明治八年会社条例草案引き続き『日本会社立法の歴史的展開』についてみてみたい。第二章の「近代的会社法の出発」の要約と補足をしてゆきたい。 会社法成立に至るまで 前回の明治維新以降会社法成立以前の株式会社に関わる動きに続くこの時期には、官有物払い下げ事件などもあったので、社会の動きとの関わりが欠かせないと思うのだが、残念ながら、本書では、法律の形式論的なものに終始していて、どうにもその背景がわかりにくい。そのあたり、わかる範囲で補足してゆきながらまとめてゆきたい。 わが国最初

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(23)

「会社」の勃興期引き続き『日本会社立法の歴史的展開』を見てゆきたい。第1章Ⅳ「会社」の流行 から要約と私見の続きを試みたい。 数字から見る第一次会社勃興時代 明治十(1877)年の西南戦争鎮定後に会社を名乗る企業が急増し、第一次の会社勃興時代が到来したという。掲載された表から見るに、まず、日本銀行条例が制定され、紙幣発行額がピークに達していたと見られる明治十五(1882)年に会社数は3655、見た目ではあるが金融業を除いても3000くらいの会社があったようだ。その後、紙幣