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広島から臨む未来、広島から顧みる歴史

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広島を基点に考える歴史と未来。 いかにして広島を寛容と対話の地域にしていけるか、などと大それたことを、余所者が考えています。広島にはその可能性が満ち満ちている、と考えていますが、…
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#藤原純友

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(28)

純友がいかに住友となったか前回藤原純友の話をずいぶん膨らませて書いたが、それを住友に繋げようとするのはさらにアクロバティックな知恵の絞り方が必要となる。引き続きNonFictional-Fictionでお楽しみいただけたら幸いです。 ケンペルの『日本誌』 住友は別子銅山から始まっているというのはすでに書いたとおりだが、その別子銅山の開坑は元禄四(1691)年とされる。その年は、オランダ商館のエンゲルベルト・ケンペルが江戸に行き、将軍綱吉と会ったとされている。ケンペルの『日

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(26)

藤原純友過去の話は吉備国まで行ってしまって、少し範囲が広がり過ぎで戻れるかどうか不安になってきた一方で、未来について書くべき方でも、すっかり近代史の密林にはまり込んでしまったので、方向感を合わせながらなんとか収束を探らないといけなくなってきた。 そこで、前回たままた藤原純友の話が出てきたので、そこに繋げることで距離を縮めてみたい。前回の話では、住友家というのがもしかしたら藤原純友の文脈を引き継いでいるのでは、という趣旨で結構な冒険をしてしまったが、それを歴史的な面から少し補強