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広島から臨む未来、広島から顧みる歴史

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広島を基点に考える歴史と未来。 いかにして広島を寛容と対話の地域にしていけるか、などと大それたことを、余所者が考えています。広島にはその可能性が満ち満ちている、と考えていますが、… もっと読む
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広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(28)

純友がいかに住友となったか前回藤原純友の話をずいぶん膨らませて書いたが、それを住友に繋げようとするのはさらにアクロバティックな知恵の絞り方が必要となる。引き続きNonFictional-Fictionでお楽しみいただけたら幸いです。 ケンペルの『日本誌』 住友は別子銅山から始まっているというのはすでに書いたとおりだが、その別子銅山の開坑は元禄四(1691)年とされる。その年は、オランダ商館のエンゲルベルト・ケンペルが江戸に行き、将軍綱吉と会ったとされている。ケンペルの『日

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(17)

昭和財政史 大内兵衛『昭和財政史』(戦前編)の序説はもう少し続くが、あとは戦後の発展と本文の構成なので、特に記すこともない。そこで本文なのだが、序章の大正時代のところを読んでいるところで、それを書いた大内兵衛という人物について少し引っかかったので、そこから始めてみたい。 大蔵省入省 Wikipediaをさっとみてまず引っかかったのが、 の部分。東京帝大卒業後に大蔵省入省で大臣官房銀行課配属となっているが、略歴でも、銀時計の受領も1913年となっており、なんらかの理由で2

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(15)

戦前昭和財政の様相1日本における財政政策がどのような経路を辿って発展してきたのかをみるために、戦前の日本財政について公式記録から見てゆきたい。本来ならば明治維新以降ずっと追うべきだし、そうしないと見えないことがかなり多くあるのだと思うが、今回はそこまでやると範囲が広がり過ぎてしまうと感じるので、ここまで見てきた昭和金融恐慌に繋げるということで、昭和に入ってからのものを見てゆきたい。基礎資料は、『昭和財政史』(戦前編)。全十八巻の大分なものなので、全てに目を通せるかというとそう

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(7)

鈴木商店破綻の背景未来に向けて、の方は、帝人の話までした。本来ならばここで資本主義改革のためのVisionary-Essayに取り組みたいところだが、ちょっとまだ資料が足りないので、金融絡みのAnalytical-Essayをかけるところまで書いてみたい。 近代最初のグローバル化時代 ずっと気になっているのが、なぜ鈴木商店が破綻に追い込まれたのか、ということなのだが、それはそこだけを追っていても多分よく見えてこないのだと思われる。それは、19世紀の後半になってグローバル化