見出し画像

山梨には2つの写真美術館がある -山梨にゆかりのある写真家 岡田紅陽

山梨に細江英公さんが館長の清里フォトアートミュージアムという公立の写真美術館があり、ヤングポートフォリオといった若手の写真家を支援するプログラムがあることは割と知られている。

しかし、もう1つの写真美術館が山梨に存在していることはあまり知られていない。それは岡田紅陽写真美術館だ。

岡田紅陽は、1000円札の富士山の写真の元ネタを撮った写真家だ。

早稲田大学入学後から写真に興味を持ちはじめ、 1916年 忍野村 からの富士に出会い、生涯富士山撮影にその身をささげる決意をしました。 大学卒業後、写真家としての道を歩み始めた紅陽の身を関東大震災が襲います。 未曾有の大被害を受けた東京や関東各県を、紅陽は東京府の委嘱を受け撮影します。 この記録写真は後に『関東大震災記念写真帖』となり、全国の日本赤十字社道府県支部などで配布され、また解説文を英訳して国際赤十字社の加盟国へ配送されました。

昭和に入り、紅陽の活躍は更にめざましいものとなります。 中でも全国の国立公園を撮影したことで紅陽は海外でも注目を浴びることとなります。この撮影は当時の美しい日本の風景を残すことにもなりました。

しかし、第二次世界大戦が始まり、それまで撮影し続けたガラス乾板やネガなどの大部分を空襲により失ってしまいます。終戦を迎え、紅陽はいよいよ富士山の撮影に没頭するようになりました。その中で同じように富士に魅せられた川端龍子、横山大観、川合玉堂などの文人たちとの交流が生まれました。
-岡田紅陽写真美術館ホームページより

「富士こそわがいのち」と残したという岡田紅陽。

彼の名前を知らなくても、実は彼の撮影した富士山をいつも財布の中に入れていたと思うと、不思議。身の回りに知らないものが、たくさん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?