見出し画像

写真新世紀2020年度グランプリ-長野にゆかりのある写真家 樋口誠也

今年で募集を停止すると発表された写真家の登竜門のコンペ、写真新世紀。

1991年にスタートし、ちょうど30年の節目で終わりが告げられることになった。なんとも、悲しい。写真界、こういうニュースばかりだね。

2020年度のグランプリは長野出身の樋口誠也さんだった。

樋口誠也
1995年 長野県松本市生まれ
2018年 名古屋学芸大学 メディア造形学部 映像メディア学科 卒業
2020年 名古屋学芸大学大学院 メディア造形研究科 修了

樋口さんの作品は、写真ではなく映像作品である。(現に、写真コースを卒業しても、社会に出たら映像制作で食べて行くという事態は日本だけではなく、グローバルに起こっていて、写真コースは廃止され映像表現コースみたいな名前に変更されていっているという流れが起きていると聞いたことがある)

さて、樋口さんの作品のタイトルは《some things do not flow in the water》だ。

写真のコンペでは、ステイトメントと呼ばれる作品に関する説明を写真家が書く。以下は樋口さんによる今回の作品のステイトメントである。

日本では過去の嫌なことを忘れて無かったことにするという意味で、「水に流す」という言葉を使う。
しかし、日本とシンガポールの歴史の中に「許す、しかし忘れない」という言葉があるように簡単には水に流せないこともある。
本作品に登場する写真は、日本とシンガポールの歴史に関係のある場所で撮影されている。
私はその写真プリントと一緒にシャワーを浴び、インクを洗い流した。そしてインクが剥がれた写真を見ながら、そこに写っていたものを思い出す過程を映像で記録した。
写真は過去の証拠となり得るが、証拠がないからといってその事実が消えるわけではない。
しかし、証拠がなければ忘れ去られ、上書きされてしまうこともたくさんある。

彼はステイトメントでははっきりと言及していないが、これは第二次世界大戦の日本とシンガポール間で起きた戦争について触れた内容であると予想できる。

実は、過去のグランプリを調べて見ると写真新世紀でこういう政治的な問題を扱ったものは初めてだったので、すごいことだと思った。

戦争のさなか、シンガポールと日本の間で起きた出来事は水に流せない。しかし、作者はシンガポールで撮影した写真に水をかけ、自らもシャワーを浴びる。水に流せないものを水で流そうとする、一見奇妙な行為にみえる。

もちろん、写真に水をかければ、表面が剥がれ、そこに何が写っていたのか曖昧にっていく。その、曖昧になった部分について、作家が記憶をたどり、思い出しながらひたすら語る......。

その一連のシュールな映像が、2020年度のグランプリだ。樋口さん、今度は何を水に流そうとするのか、この次のシリーズが楽しみだ。(個人的にはオリンピックとかでやってほしい)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?