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青森が生んだ写真界のミレーと太宰治の「津軽」を写す若手写真家

タイトルには含んでいないが、青森で一番有名な写真家と言えば、「安全への逃避」でピューリッツァー賞をとった沢田教一だろう。ここでは彼の生い立ちを辿ることもしないし、若くして亡くなった悲劇を書こうとは思わない。しかし、私たちはベトナムで起きた悪夢、血生臭い惨劇を、彼の写真を通して知っている。それだけで、彼の存在が証明されるのではないだろうか。

悲しいかな青森に写真美術館もなければ、写真専門の古本屋を探すこともできなかったが、青森県立美術館や十和田市現代美術館が写真家を取り上げることが少なくない。市民は美術館で写真を見てはじめて、青森の風景を自分の目ではなく他者の目を通して再構築することになる。

青森のミレーと呼ばれた写真家 小島一郎
話は変わるが、日本で一番ミレーを収集しているのは、70点をコレクションしている山梨県立美術館だということはあまり知られていない。山梨の農村風景をバルビゾンと重ね合わせて、堅実な生活を市民に求めたのだろうか。ルーヴル美術館やオルセー美術館のミレーの収蔵数よりも多いと言われているので、世界一ミレーを所蔵している美術館といっても間違いではないかもしれない。

「もし」という言葉は好きではないが、もし山梨県がミレーの収集に名乗りをあげていなかったならば、青森の美術館がふさわしかったのではないか。それは、戦後の青森が生んだ写真界の 「ミレー」と呼ばれる小島一郎がいるからだ。これは私の小さな願いだが、山梨県立美術館が《落ち穂拾い》シリーズを所蔵しているので、青森か山梨の学芸員さんに2つの作品を並べた美術展を企画してほしい。見て!これはどう考えても、落ち穂拾いを想起するでしょう。

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小島一郎 つがる市 木造 1958年
青森県立美術館より http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/22/

太宰治の「津軽」を写す若手写真家 柴田祥
彼の写真はモノクロで奏でる静かなクラシック音楽。小さい頃に楽器を握っていたならば、一流の音楽家になっていただろう。空と地の境が分からなくなるほどの真っ白な風景。寒々とした津軽の寂寞感が漂う風景を切り取る。植田正治が映した島根の砂漠がモダンな風景に見えたように、柴田祥が撮れば青森の雪野原がアーティステックになる。青森のミレーと呼ばれた小島一郎と違い、柴田祥の写真に人は登場しない。鑑賞者が感情を受け取ることが容易な表情や動作をあえて排し、人のいた痕跡のみをフレームに収める。孤独、空虚、無為をここまで昇華できるって素敵。ここでは一枚しか紹介していないが、彼がバランスや造形を意識した作家であることは間違いない。

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柴田 祥《わた雪》
island galleryよりhttp://islandgallery.jp/15039

引用した《わた雪》は、太宰治の「津軽」の冒頭で登場する。わた雪。雪の降る町には、雪を表す言葉がこんなにもあるのか。こな雪、つぶ雪、みづ雪....どの雪を撮っているのかと想像しながら彼の写真を観るのが楽しみだ。

津軽の雪
 こな雪
 つぶ雪
 わた雪
 みづ雪
 かた雪
 ざらめ雪
 こほり雪
  (東奥年鑑より)
太宰治『津軽』の冒頭より

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