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人間らしく跳ねる−愛知にゆかりのある写真家 志賀理江子

志賀理江子さんは東北に移住して12年ほど。

現在は、元々パチンコ屋だった建物を改装したスタジオを拠点に活動されているそうだ。

パチンコ屋!?と字面を見ると驚くけれど、広々として居心地が良さそう。

志賀理江子さんは、自分の中で「未分類」の写真家さん。とにかく一言で言い表しづらい。

2019年に東京都写真美術館で開催された志賀理江子さんの〈ヒューマン・スプリング〉展は、たまに思い出す展覧会だ。なぜなら、その場で意味が掴めず逃げ帰ってしまい、自分の中で消化不良だったから。

その日は、巨大なパネルに引き伸ばされた薄暗い背景に浮かび上がる人間の姿を見て、展覧会に赴いた鑑賞者というよりも、シャーマニズム的(宗教的)な儀式に迷い込んだ参列者のような気持ちにさせられた。

あまりにも異様な光景が受け入れられなくて、滞在時間は5分もなかった。

洞窟にでも集う人と人の間をすり抜けるような、妙な感情。

志賀さんのように東北を撮っている写真家さんは特に震災以降に多いかもしれない。

しかし、志賀さんの写真は東北を撮りながらも「津波の被害」「仮設住宅での暮らし」「原発」といったイメージからはかけ離れたものを作品に残しているので「分かりやすさ」から一線を画している。

彼女のインタビューをいくつか読んで気づいたけれど、彼女は何かを言いたいから作品を発表しているわけではなく、作品を発表することで鑑賞者の心の中に湧き上がる反応をみているらしい。

彼女は「津波や原発の被害で苦しむ人」を直接的に切り出さない。

彼女は、むしろ「人間とは?」という問いに答えようと作品を残している。

上の作品の展示の様子からも分かるように、繰り返し展示されるショッキングピンクのペンキのようなものが顔に塗られた青年が、異様さを増幅させている。

「ヒューマン・スプリング」と表記されているけれど、Human Springって何だろう。人間の春。Human Being's Springではない。Human Springは人間らしい春、人間的な春、人間にありがちな春としてもいいかもしれないなぁと辞書を引きながら考えた。また、本人も言及しているけれど、Springには跳ねるという意味もある。人間らしく跳ねる。

志賀理江子さんの〈ヒューマン・スプリング〉の作品は何度も思い出してしまう。滞在時間は5分くらいだったのに。写真展の面白いところは、たった、5分であっても、見たものが憑依してくることだと思う。

ぜひ、志賀理江子さんの写真展があったらみんな憑依されてほしい。人間とは何か問い続ける呪縛みたいなものから離れられなくなってしまうよ。

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