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神殿 -神奈川にゆかりのある写真家 十文字美信

十文字美信はとにかく変わり者らしい。

私が好きな写真評論家の渡辺勉が「変わり者」と彼のことを紹介している。

渡辺の著書の『現代の写真と写真家』によると、十文字は「県の公務員をやめ、ライトマンや篠山紀信氏の助手を経て、昭和46年(1971年)にフリーとなる。」現在73歳である十文字は、1975年出版の本の中ではあたりまえだが新人として扱われ、将来有望と書かれていた。

渡辺勉は以下のように続けている。

十文字美信は、神奈川県に生まれている。聞くところによると、少年時代はなかなか手に負えない悪童であったらしい。それはただのやんちゃ坊主というよりも、どちらかといえばアウトロー的な行動をする少年であったようである。しかし本人は、そんなことはなかったという。だが、あえて否定しようともしない。もっとも友人たちからは、おまえは変わっているといわれていたそうである。
-『現代の写真と写真家』

友人にまで聞き込み調査をしているのが面白い笑。

評論で幼少時代は「悪童」だったらしいと書く人、令和にはなかなかいないだろうな。

そして「変わり者」は公務員に向かないねと渡辺がいえば、「それでも、3年間は勤めました」と答えたらしい。しかも、公務員を選んだ理由が「いちばん楽そうだったから」ここまで読んで、十文字のことが好きになった。

十文字は篠山紀信のアシスタントをしていたこともあり比較されることは多いと思う。渡辺によると、十文字の写真は「どこか陰湿で、奇妙な不気味な一面がその空間を支配している」という。「狂気とはいわないまでも、斜めに現実をにらみすえた視点の妖気が、彼の写真を魅力のあるものにしているようにも思える。」とも話している。

しかもそれはそれゆえに、ひどく観念的な表現であるともいえよう。と同時に、なんでもない日常的な情景が対象でありながら、ひとたび彼の目がそれらに投射されると、そこに意外性がみえてくることである。そうした不思議な魅力が、彼の写真の特徴をなしている。
-『現代の写真と写真家』

自分が「こわさ」を感じることがなければ面白くないと表現する十文字の言葉に私は注目したい。決まり切ったものではない、不安定な、不穏なものに惹かれて撮るのではないだろうか。

彼のホームページが充実しているので、時間がある人は覗いてほしい。彼の過去の作品もホームページのギャラリーで見ることが可能だ。

その中でも一番好きなのが〈神殿〉という枯れた花を撮影したシリーズ。

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花は盛りが美しい。
 ずっとそう思ってきた。
 生命力に溢れ、みずみずしい色彩に溢れた花は、近づけば芳しい香りも漂ってくる。花を観賞することの大きな理由は、若々しい花の美しさだ。花が枯れ始め、颯爽とした勢いも失われてくると、大抵は、注意深く見つめることもなく捨ててしまう。
   妻が花器に活けた花を、時が経過しても触らずに、そっとそのままにして見ていると、日々少しずつ変化していくのがわかる。色も褪せ、活けた花の形は、注意していないとわからないくらい微妙に動いていく。花は自らの重みに耐えかねるように徐々に下を向き、なんとも言えない形に落ち着く。花びらを一枚一枚落としていくものもあれば、中には力尽きたように、ポ卜リと音を立てて花そのものを落としてしまう。
枯れていくすべての過程は完壁なように思われる。
 地球の引力や重力と折り合いをつけながら、生命力と環境との微妙なバランスの答えがここにある。そのうえ、時間の経過によって現れる自に見えない微生物までも力を合わせて形や色彩を決めていく。
   枯れつつある花の写真に「神殿」と名付けた。作品のタイトルに相応しいかわからない。昔の人が山を見て、人の力を超えた存在を感じたように、枯れていく花の内側にも、不思議な力の源が潜んでいるように感じられたのだ。(『常ならむ』より)

-HPより引用 https://gallery.jumonjibishin.com/ja/collections/sanctuary/

写真家って撮るだけじゃなくて、それを言語化するのが上手いんだなぁって十文字の文章を読むと感じるし、病みつきになるね。

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