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鏡としての水面、鏡としてのカメラ 和歌山にゆかりのある写真家−鈴木理策

まだ公式から発表はないものの、写真界の芥川賞と言われる木村伊兵衛賞の発表は今年は中止になるようです。今回は高橋健太郎さんの『A RED HAT』が受賞するかもしれない...と思っていたので、賞の中止はショックでした。賞をきっかけにしてもっと作品の認知が広まったかもしれないと思うと、とっても残念でなりません。

今日紹介する鈴木理策さんは、『PILES OF TIME』が評価され2000年に木村伊兵衛賞を受賞した写真家です。この写真集を出版した京都の光琳社という美術書を主に世に送り出していた出版社はすでに自己破産でなくなっているよう。その出版社が破産寸前の時に残した写真集なので、編集者も写真家も思い入れがある作品が詰まった一冊なのではないでしょうか。この写真集は青森県の恐山と三重県の花窟神社の二箇所で撮影されています。

Book Obscuraの店長さんがオンラインショップに以下のような言葉を寄せていらっしゃるので読んでほしいです。

恐山と聞くと、須田一政さんの写真集「恐山へ」や、東松照明さんの写真集「日本」に掲載されている恐山のような、禍々しい写真を思い浮かべますが、表紙を見て頂くと分かる通り理策さんらしい新鮮な、思わず深呼吸してしまいたくなる空気に包まれた写真が始終続きます。

さて、そんな鈴木理策さんの作品を初めて見たのは2018年に長野の浅間フォトフェスティバルを訪れたときですが、それ以来、私は鈴木さんの睡蓮の写真が好きになりました。長野でみたのは2014年の〈水鏡〉というシリーズで、クロード・モネの睡蓮から着想を得て撮影されたものだと思います。では、なぜタイトルに「鏡」が入っているのでしょうか。

(↑これは2014年よりも後に取られている写真)

パッと見ると「睡蓮」というモチーフはモネのそれと区別はつきません。しかし、鈴木が注目しているのは水面です。鈴木の撮る〈水鏡〉シリーズをよくみると青い空や雲、森林が映り込んでいます。私が持っている図録には、映り込んでいる空がメインのような作品もあります。その水面の像をみて楽しむのが醍醐味だなぁと言えるかもしれません。

「鏡はものを映す道具」という知識を身に付けた大人は疑いなく鏡を見つめるが、初めて鏡を見た赤ん坊はそこに映る自分を知らない誰かだと思って泣いたり、鏡の向こう側の世界に触れようとして手を伸ばしたりする。誰もがそんな風に鏡を見たことがあったはずだが、経験に浸透されて見る行為は効率化していく。ならば水面の鏡像を写した写真はどのように見えるだろうか。経験に依らずに見ることを考える上で、水面はとても面白いモチーフだと感じている。−鈴木理策

鈴木さんは熊野古道の写真を最近よく発表されているので見に行きたいです。(先日行きそびれました...)

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