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眠りの理由 瑛九 -宮崎にゆかりのある写真家

 九州の豪雨で次々と川が氾濫して夜眠れないので、ネットサーフィンをしながら写真を眺めていた。

 疫病と災害が同時に来るなんて神様はいったいどこに...とうなだれる。心の中に大仏をいくつ建立させても、なかなか事態がおさまらない。つらい。

 宮崎に住む転勤族のTに連絡をいれると、実家の人吉市の家が浸水したと返事が来た。彼は10年以上の友人だけど、昨年結婚してからほとんど連絡を取らなくなった。奥さんが嫉妬するかららしい。「ごめん、いまトイレから返信してる...」「無理しなくていいよ」というやりとり。結婚するってこういうことなんだっけと思った。でも、彼の大切な人への配慮がそうさせているんだと分かると心が温まる。

 そのTは写真が好きで、「宮崎出身の写真家がいたら教えてくれない?」と以前聞いたときに瑛九だと教えてくれた。

 瑛九は1911年に宮崎県に眼科医の息子として生まれたけれど、継がずに画家の道に進んだ人。存命中にはありとあらゆる美術書や画集を読み込み、すべてを地肉に変えようとしていた。実はこの変わった名前、キューピーみたいにしたいと考えてこれにしたらしい。英語表記でサインしたらQ-EIとなる笑。
 一時期はエスペラント語で小説を書いたこともあるほどの語学オタクで、上京した時にはフランス語をアテネ・フランセで学んでいたとは。彼のことを語っている人のエッセイを読むと、次々といろんな表現方法に取り組んだ人、間味の溢れる人だったと分かる。

 わたしがはじめて瑛九の絵を目にしたのは、本駒込にあるギャラリー「ときの忘れもの」を友人と訪れたときだ。よく晴れた日で、本駒込にある青いカバという名前の古本屋と東洋文庫ミュージアムにもハシゴをした。
 「ときの忘れもの」は以前は青山にあったギャラリーで、今は本駒込の大通りから少し入った路地にあり、コンクリートの(たしか)2階建て。上品なおうちに遊びにいく感覚でお邪魔できるところがいい。
 瑛九や瀧口修造などの戦前から活躍する前衛芸術家を取り扱っていて、よくおもしろそうな展示があっているのでツイッターをフォローしている。美術手帖によると、最近は細江英公、植田正治、奈良原一高やジョナス・メカスなどの写真にも力を入れているらしい。いいね。

 瑛九をはじめてみたとき「明るい宇宙みたいだな」と思った。永遠に暗闇の中にある宇宙に、もし光を一瞬だけ照らしたら、彼の絵みたいになるのかなと感じた。絵画や版画が飾られたスペースに、バーゼル香港で初個展を終えたことが書き添えてあったので、へぇ海外でも取引のある作家なのかと記憶したのをいまでも覚えている。

 瑛九は写真もする人だとあとで知った。カメラを使わずに、直接印画紙に光をあてて制作する方法をとっている。これは、フォトグラムやレイヨグラムと呼ばれる方法で、瑛九は「フォトデッサン」と呼んでいた。20世紀前半にマン・レイやモホイ・ナジがやっていたのと同じ方法で表現している。でも、マン・レイと似ているねと評されることが苦痛だったらしい。自分の本質をみてほしいと、それは彼らしい傷つき方だなと思った。

上はフォト・デッサンの方法で制作された写真。下はコラージュのよう。


 瑛九がフォト・デッサンで制作した『眠りの理由』は限定40部で発行された希少本。そのほとんどの行方は分からないけれど、オリジナルの1つを宮崎県立美術館が所有しているそう。これは、機会があったらみてみたいな。


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