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『パ・ラパパンパン』 クリスマスに読む物語

コートなしで外を歩くとたちまち風邪を引きそうな底冷えした日。11月28日に東京公演の千秋楽、松たか子主演の『パ・ラパパンパン』をみた。場所は渋谷Bunkamuraのシアター・コクーン。千秋楽ということもあり、二階席までぎっしり人が詰まっていて満員御礼。舞台終了後には歓声が湧き上がりスタンディング・オベーション、拍手の嵐...だったのだが、私は席にポツンと一人座ったまま、ん、よかったんだけど、手放しで全て受け入れられないなと思った演劇だった。

『パ・ラパパンパン』は19世紀の小説家ディケンズの『クリスマス・キャロル』の翻案だが、舞台上にいる書き手側の物語と、書き手の向こう側のキャラクターの物語が同時に進行し途中でクロスオーバーする設定はさすがだった。舞台はクリスマス・イブのおそらく都内某所。松たか子演じる売れない小説家、来栖てまりは10年前の文学賞の佳作で編集長に認められデビューしたものの、鳴かず飛ばずの作家生活を送っている。そろそろティーンズ向けのジャンルからどうにか脱却して、大人向けのミステリー小説を書いてみたいと思っているのだが、設定にもストーリーにも欠陥がありなかなか前に進まない。しかし、編集者役の神木隆之介演じる博識な浅見鏡太郎がてまりの書く物語に登場するキャラクターのぶれを指摘し、時代考証のチェックを行い、徐々に物語らしさを帯びてくる...。少しネタバレになるが、一番笑えたのは、原作では金貸し業をスクルージ爺さんと一緒に始めたマーレイが、死後、鎖でがんじがらめにされた(金や欲にまみれて身動きが取れなくなった)幽霊になって登場するのだが、本作では駄作を世に送り続けてしまった編集長が、駄作の数々を鎖で巻きつけられた状態で幽霊として登場する場面があった。そこは、周りはそんなに笑ってなかったが、この翻案はさすがだわ...と思わず声を出して笑ってしまった。なるほどねぇ、金貸しではなく、編集長が鎖にまかれるのか...と。

とにかく松たか子の歌唱力がすごい。しかし、千秋楽で疲れも出たのか、一瞬、歌詞が飛んだ箇所もあったけれど、「歌詞とんだ〜」と歌に交えながら笑いに変えて巻き返す松たか子のことがとっても好きになった。今年話題になったドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』で演じたおっちょこちょいだが愛されるキャラクターが、今回の演劇でも引き続き発揮されていて、なぜこんなにドジだけど周りが放っておかない役がうまいんだろう...と思った。松たか子、90年代のいわゆるトレンディ・ドラマのヒロイン役からうまく令和の自立した女性像にシフトした感じ。とっても好き。

それから、この秋に放映された『コントがはじまる』で大ファンになってしまった神木隆之介くんが出る、ということで今回のチケットを予約したのだが、神木くんは最高でした。冒頭に原作(もちろん日本語翻訳版)を朗読する場面があるのだけど、お願いだからもうそのまま神木くんの朗読会にしてくれませんか??!!と思ったほど、声の使い分けや強弱がプロすぎて素晴らしかった。少々長くはあるが、神木隆之介くんのクリスマス・キャロルの朗読が発売されたらさぞかしバカ売れするだろう...。オトバンクの担当さん、Amazonのオーディオブックの担当さん、早く、早く神木くんの朗読シリーズを売ってください...!

ツイッターにも少し書いたが、自分がイギリス文化かぶれしていることもあり、どうしても日本の演劇の「笑いの取り方」が馴染めず、なんか学級会の出し物的なノリがあるのが嫌だった。大人がみるものだからいいんじゃないか...とやれ、見た目をバカにしたり、とりあえずお尻をみせとけばいい、みたいな笑いの取り方が端的に言ってダサい...。と思ってしまった。これは、野田地図の『フェイクスピア』を見たときにも少しだけ感じたので、「笑い」の作り方はもっと研究されていいよなぁと感じている。もちろん、神妙になりすぎる必要はないし、劇中でわざわざ明示的に「差別反対!」「女性の権利!」「ルッキズムは悪!」などと言わなくていい。それはそれで明らか過ぎて「道徳の教科書じゃないんだから...」と幻滅してしまう。お笑い好きの能町みね子さんも最近の連載で「M-1の予選を見てきたが、笑いの取り方がジェンダー論的にアウトなものが多かった」とコメントされていたが、演劇でもそうだよ。演劇でも、笑いの取り方がいわゆる小学生男子の笑いから全く変わっていないんだよ...(小学生男子ごめんね)と思ったのだった。

*********ここからはおまけ*********

幽霊話といえば、日本的に言えばお盆の季節、欧米的に言えばハロウィーンなのだが、19世紀のビクトリア朝時代はクリスマスに幽霊話を読むのが流行っていた。現在のクリスマス文化を根付かせたのは、19世紀前半に活躍したクリスマス・キャロルの作者、チャールズ・ディケンズだ。不幸な子供時代を過ごしたディケンズは、かなり多くのクリスマスの物語を残している。(英文学界隈ではディケンズは教訓的だ、学がない、などとシェイクスピア研究者界隈からは少し見下されているが、実際、描写力やストーリー展開は素晴らしすぎる。)

チャールズ・ディケンズが日本に初めて紹介されたのは、明治20年ごろの読売新聞。当時早稲田の前身の専門学校で漢文を担当していた饗庭篁村が紹介した。彼は英語が読めなかったため、おそらく早稲田の英文専攻の学生や同僚だった坪内逍遥などに手伝ってもらい翻訳して新聞小説として連載した。厳密に言えば、翻訳ではなく翻案として発表した。明治の初頭は、まだ文学を翻訳するほどの余裕はなく、法学や工学、医学を中心に翻訳が進められ知識の輸入が推し進められていたが、ようやく明治20年頃になって文学が翻案あるいは翻訳されはじめる。明治は20年くらいまでは本質的には江戸時代であったと誰かが書き残していたが、確かに当時の写真をみると服装は和洋入り乱れている。もしかしたら、ご存知の人もいるかもしれないが、明治時代の翻案作家として有名どころは、黒岩涙香だろう。しかし、実際に「翻案が読まれる潮流」を生み出したのは、饗庭であったと私は考えている。彼は劇評家であり、読書好きが高じて学者になったタイプで、いわゆる大学などの正規ルートを通っていない。彼自身、江戸後期の大地震の中に生まれ、孤独に育ち、いわゆるディケンズが書きそうなタイプの不幸な子ども時代を過ごしたため、「クリスマス・キャロル」にも自分を重ねて翻案を決定したのではないだろうか。

饗庭の功績として、女性作家を編集者に紹介して連載を持たせるなど、見えないところで活躍していた点を挙げることができる。最近は、ブログが流行って誰もが書き手になる時代になったが、明治20年代というのもまた、新聞が浸透し始め誰もが書き手になりたがった時代だと言われており、様々な書き手が凌ぎを削った時代だったのだろう。

ちなみに、饗庭は坪内逍遥などと仲がよかったのだが、日本文学あるいは英文学の研究領域からストンと抜け押してしまい、なかなか研究対象にされてこなかった。それは、彼の漢文混じりの日本語が難解だったからだとも言われている。しかし、数年前に亡くなった評論家坪内祐三が全集「明治の文学」(筑摩書房)の13巻に饗庭篁村の小説や翻案・紀行文をまとめて1冊の本として出版した。坪内氏はこのことについて「やっと饗庭を世に再び送り出せた」と喜びを記事で伝えている。

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