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写真は記号-東京にゆかりのある写真家 名取洋之助

名取洋之助の著書『写真の読みかた』を読了した。

まずは、全く関係がないけれどドイツのビールが飲みたい!という感想を持った。池袋のシネリーブルでよく映画を見るのだけれど(といっても、最近は時間を取られるのが嫌であまり見ていない)、2月の下旬に映画「トキワ荘の青春」(あまり面白くなかった)をみた帰りに初めてドイツのクラフトビールを出しているお店に寄った。その1杯がめちゃくちゃおいしくって、つい、今日名取のドイツ滞在の話を読んでいたら、やば、池袋でまたドイツビールを飲みたい!と思った。深い苦味がザラザラして美味しかった。

名取洋之助はまさに、満州事変が起きた頃の第二次世界大戦の戦禍がひどくなる前のドイツに滞在していた。ちょうど日本への注目が高まり、風俗を写真に収めてくるよう出版社の編集長に頼まれ帰国する。その仕事を任されてジャーナリズムの世界に足を踏み入れた、自信がついた、と彼は振り返っている。

彼の捉えたいわゆる「オリエンタリズム」的な日本の写真は当時の雑誌で評判になったそうだ。

でも...。

『写真の読みかた』を読み終わると、彼が執拗に1つのテーマを追ったり、新しい表現方法を探究したりするようなタイプの作家ではなかったのだろうというのが分かる。ツイッターで一蔵さんや解放迷さんに教えてもらったけれど、彼はのちに写真家というよりも編集者に近い働きかたをすることになった。日本工房を立ち上げたのも、もろにドイツのバウハウスに影響を受けた痕跡があり、その頃からグラフィックデザインや組版に興味が移ったのかもしれない。

本のタイトルの話を少しだけしよう。

面白いなと思ったのは、彼の著した本のタイトルを『写真の見かた』ではなく『写真の読みかた』としているところだ。文章のように読めという。

写真は記号ともいう。写真家、編集者によって作為的に被写体が切り取られた画像に、キャプション付けて演出を施す。いくら、ノンフィクションのテーマを扱っていたとしても、読者に出回るときにはもはやフィクションなのだ。

つまり、「洞窟に浮かび上がる影を見せつけられていることを意識せよ」という主張を手を替え品を替え名取は本の中で何度も忠告する。

写真家と編集者に「騙されるな」と言わんばかりだ。

(名取が実際に中国の風景がうつった写真にいくつか異なるキャプションを加えて、いかに物語性に変化が生まれるか教えてくれるシーンには舌を巻いた)

この本の面白さの5%しか語っていないけれど、寺田寅彦を引用して、地形図を読むように写真を読めるとよいねと言っていたのが新鮮だったので最後に紹介して終わる。

理解のしかた、つまり、写真の読みかたにいろいろあるところに、写真を使う側にも、見て、読む側にも、重要な問題が潜んでいます。寺田寅彦は「地図を眺めて」という随筆で、地図の語る言葉に慣れ親しんでいるものにとっては、一枚の地形図はあらゆる有用な知識の宝庫であり、忠実な助言者である。たとえば、地形図のなかからどこか一寸四方をとって、そこに盛りこまれている知識を言葉に翻訳しようとするなら、それはたいへんな仕事である、という意味のことを書いていますが、写真の場合も同様です。
−『写真の読みかた』より

名取洋之助が生まれて今年で101年目。あれ、去年生誕100周年を記念した展覧会はあまり聞かなかったなぁという違和感はあるけれど、彼がドイツの写真文化を紹介して日本の写真や雑誌に影響を与えたことは間違いない。

あーードイツビール飲みたい!



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