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写真を芸術に 大阪にゆかりのある写真家−山沢栄子

山沢栄子さんはとにかく芸術を愛してやまない写真家だったんだろうな...と彼女について知れば知るほど思う。

なぜって、彼女は最初、菊池寛をはじめとして文芸界の重鎮なんかを撮影して生計を立てて行くのだけど、のちにサムネイルのような抽象的な写真に移していくんですよ。彼女の名前で出版されている『私は女流写真家』でも「カメラで美術が可能か」について一章分も割いているほどで、美術史の中で写真を芸術として昇華できるかというのが、彼女の頭の中に常にあったみたい。

「写真というものが芸術として扱われるようにしたい」彼女はそうはっきり述べているのはすごいことだと思う。なかなか、戦前生まれの女性写真家でそこまで考えていた人はいなかったはず。

2010年に出版された飯沢耕太郎『「女の子写真」の時代』には、「もっと注目されてよい写真家の一人だろう」と書き記されているほどで、有名か有名でないかと訊かれれば、世間一般には有名ではなかった。。。(女の子写真の文脈に山沢栄子さんが入っている違和感については別の機会に話しましょう。)

東京都写真美術館で初めて彼女を取り上げた〈山沢栄子 私の現代〉(2019年11月12日〜2020年1月26日)では、「こんな素敵な写真家さんがいたのか」といろんなところから声があがるほどで、死後ようやく世間に広く知られるようになった存在だなぁという切なさもある。

山沢栄子は世代でいうと平塚らいてうと同世代。東京の出版社で平塚らいてうと三度ほど会ったという証言を本人がしているけれど、山沢は女性解放運動には積極的には参加せず、集まりにも参加していなかったそう。

女性解放運動に参加はしていなかったけれど、自ら生計を立て、大好きな芸術に邁進していった彼女は当時の新しい女性像の先端を走っていた人物といってもいいだろう。


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