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砲声とシャッター音 一ノ瀬泰造 –佐賀にゆかりのある写真家

よかった。3月上旬から臨時休館していたニコンミュージアムが6月30日(火)から再開します。一ノ瀬泰造「戦場の真実、硝煙の中に生きる人々」の会期が9月26日(土)まで延長されるそうなので嬉しくなってnoteを開きました。

ニコンミュージアムの展示室はそんなに広くはないですが、武雄市図書館から約40点の写真が届いているので見応えがありそうです。彼が肌身離さず持っていたニコンのカメラも展示されます。(一ノ瀬さんが佐賀出身なので、武雄市が保管しているのでしょう。)

一ノ瀬泰造さんが亡くなって今年で47年。戦後にベトナム戦争に巻き込まれる形でカンボジアで起きた内戦下で、現地の生々しい写真を撮り続けたカメラマンです。自分の命とカメラだけで戦地に乗り込む心境ってどんな感じなのでしょうか。

彼は戦地(カンボジアやベトナム)でよく手紙を書いていて、武雄市の実家の両親に送ってやりとりをしています。その手紙も今回展示されるそうなので筆跡も見れると思い楽しみにしています。(手紙は大使館に取りに行っていたようです。)

過去に五十嵐匠監督、奥山和由プロデューサ、浅野忠信主演で『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999)として映像化されています。残念ながらnetflixにもAmazonにも作品がなく、DVDを買うしか観る方法はなさそうです。(五十嵐監督は映画『SAWADA 青森からベトナムへピュリッツァー賞カメラマン沢田教一の生と死』でも写真家の半生を映画化しています。) 

一ノ瀬泰造さんは、72年にカンボジアで亡くなった沢田教一さんの写真にストーリーを書いていた敏腕のUPI通信の記者と一緒にカンボジアを回っていた時期もあります。彼の日記と両親との書簡のやりとりを元にして出版された本は70年代後半の日本でベストセラーになりました。彼の動向の記録が細やかに残されていますが、戦地でこんなによく書けたもんだなと驚かずにはいられません。

「お金じゃありません。写真が好きなのです。私は本来、なまけ者で学ぶことも働くことも嫌いです。私の生き甲斐は写真です。いい写真を撮るためだったら命だって賭けます。そして、そんな時の私は、最高に幸せです。あなたは理解できないでしょうが、またもう少しかしこくなって割り切れば、お金だって入りますが、残念ながら私にはその能力がありません。」
一ノ瀬泰造『地雷を踏んだらサヨウナラ』より

これを読んだときに、わたしは言葉を失いました。こんなに愛せる仕事があるなんて羨ましい。

しかし、まぁこの本の中の一ノ瀬さんはハツラツとしています。「アンコールワットを撮りたい!」と話す姿や、安い食堂で現地の人と戯れる様子から息遣いまで感じられるのですが、もう読んでいて辛いです。死ぬと分かっていて読むのが辛いのでしょうか。何しろ死への恐怖が全く感じられず、戦地でのアドレナリンと使命感が彼を突き動かしています。

母親からはこんな手紙も届いています。

「この頃は泰ちゃんが手紙を書けぬほどに負傷でもしているのではないかと夢にまで見ました。6月26日に待ちに待った手紙が来たので、ああ、まだ生きていたのか!と本当にホッとしました」

ちょうど約45年前の昨日は、まだ彼は生きていたんですね。数年経ったらもしかしたら大きな回顧展があるかもしれませんが、一足先に少し小さいスペースで一ノ瀬泰造さんの足跡を辿ってこようと思います。


おまけ:一ノ瀬泰造さんを回顧したショートムービーが昨年撮影されています。



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