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柔らかい筆で描いたような雲 塩谷定好−鳥取にゆかりのある写真家

鳥取出身の写真家といえば植田正治が有名です。わたしは植田正治写真美術館に4年前の3月に行きました。

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砂で靴の中がジャリジャリになりながら丘を登る私。

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輪郭を残さない写真が美しい

植田正治よりも少し早く生まれて芸術写真を極めた塩谷定好という写真家もとてもいいなと思います。

何がよいって、すでに正確に風景を映すことができていた時代に、あえて輪郭をぼやけさせるような写真を撮っていたのがとてもよいです。彼が「商業写真」ではなく芸術として写真は何ができるか考えていたことが彼の作品から読み取れます。ただ風景を残したいだけなら、そういうレンズを選び、ピントももっと合わせていたと思います。

彼を見つけたのは、book obscuraで購入した『パリ・ニューヨーク・東京』です。この本に塩谷の写真が載っていて「写真なのにモノクロ絵画みたいでいいな」「柔らかい筆で描いたような雲がいいな」と感じました。

こういう絵画のような写真を目指した作風を「ピクトリアリスム」というそうです。内林俊さんの『写真の物語』によると、「ピクトリアリスム」は19世紀後半から20世紀前半にイギリスやフランスを中心に流行し、日本ではイギリス人のウィリアム・バートンが広めたそうです。1893年に上野で開催された外国写真展覧会もバートンが斡旋したそうで、実際に日本におけるピクトリアリスムの全盛期は1920年代。これは、まさに、塩谷が20歳を過ぎた頃なので、もろに影響を受けていたと言えます。

河内タカさんによる塩谷定好の紹介

写真に造詣が深い河内タカさんが塩谷定好について紹介されていました。

「父親からイーストマン・コダック社の「ヴェスト・ポケット・コダック」をもらったことで写真に目覚めた塩谷定好(1899~1988)は、山陰の風景や人物を独特のソフトフォーカスでとらえ、プリント制作時においても傑出した技量を示した大正末期から昭和初期にかけて隆盛した「芸術写真」の第一人者」
 −河内タカ

さらに、河内さんは以下の記事で塩谷について詳しく書かれています。

この記事を読むまで知らなかったのですが、あの植田正治が「自分にとって神様にような存在だった」と塩谷について言っていたそうです。

欧米のピクトリアリズムの影響を受け、山陰の風景をソフトフォーカスで撮影。写真雑誌の掲載を通して当時の若い写真家に影響を与えたほど当時は人気があったようです。最近ではあまり名前が知られていませんが、夢の中の光景のような作風が国内外で取り上げられ、近年評価が高まっているそうで、私も注目していきいたいと思います。

塩谷が実験的ともいえる撮影やプリント作業を行っていた背景には、自身の記憶の中にある普遍的な情景を表現するために、カメラを通した目と人間の眼とのギャップを埋めようとした結果であったとも言われていますが、ともかくそのような飽くなき探求心と実験精神があったからこそ、撮られてから約1世紀という年月が経過しているにもかかわらず、デジカメやスマホ写真が溢れる今の時代においても多くのアイデアやヒントを提示してくれるのではないかと思うのです。
 −河内タカ「山陰地方で実験的な写真を取り続けた写真家」

このように、埋もれている作家が再評価されるというのは写真好きとしては心が震えます。

熊本出身の作家、葉祥明の写真を思い出す

私は地元出身の作家の画集を家に集めているのですが、塩谷の輪郭線を残さない写真は、熊本出身の作家葉祥明の作風に似ているなと思いました。ぜひサムネイルの塩谷の写真と比較してみてください。私は先に葉祥明の下の絵を知っていたので、塩谷の写真をみたときに「葉祥明」の絵が写真になったみたいだなと感じました。

葉祥明美術館は鎌倉にあるらしいので行ってみたいです。


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