見出し画像

再会と現在の私たち

彼と再会したのは昨年の冬の終わりだった。
10年ぶりにショートメッセージがきていたのに気付かず、半月後に発見するや私の心は踊った。

当時の私たちは同僚であり、ざっくりいうとセフレの関係だった(あえて関係性に名前をつけるならこれしかないだろう)。私は純粋に彼が好きだったし、仕事ができて男気のある彼に強い憧れを抱いていた。アプローチしてきたのは彼の方だったが、気づいたら私の方が一方的に本気になっていた。しかし、ほどなくして彼には正式な彼女がいることが分かり、馬鹿な私はそれをスルーして彼の都合に合わせて付き合い続けたのである。日陰の身であることは自覚していたが、自尊心の高い私は惨めな気持ちに蓋をして、さらに別の同僚とも肉体関係を持つというラビリンスに迷い込んでしまった。そしてまたここで気づく。

一番好きな人からは愛されないという事実に。

眼中にない(失礼)輩からはセクハラやストーカー紛いの行為を受け、心から好きな相手からは振り向いてもらえない。
実際、彼と会っていた時は、いつも話を丁寧に聞いてくれたし、それなりの愛やリスペクトは感じられた。しかし私が2番手(いや3番手だったかもしれない)だった事実は変わらず、その歯痒さを面と向かって彼に伝えられなかった自分の弱さには、今でも臍を噛む思いでいる。

あれは東日本大地震が起こる1ヶ月ほど前だった。ある日突然彼から電話がきて、彼女と結婚すると伝えられた。
激しく動揺した私は涙を堪えて、ただ静かにおめでとうと言った記憶がある。
そして1年後、私たちは別々の学校に転勤になり、それから音信は途絶えた。

その彼から10年ぶりにきたメールである。
当時のほろ苦い思い出は心の片隅に抱えながらも、離婚後何年も仕事と育児に追われて恋愛など考える余裕もなかった私には、このトキメキの再来がかなり新鮮で、ただただ会いたいと願った。

再会したのはメールのやりとりから1ヶ月ほど経った頃だったが、互いの結婚生活や仕事、現在に至るまでを語り合って、またあの頃のような恋心が蘇るのに時間はかからなかった。
(彼も数年前に離婚しており子なしフリーと聞いてさらに安堵した。)

それから私たちはデートを重ね、今度こそ正式に付き合うことになった。
以前聞いたこともないような愛を囁かれて、舞い上がると同時に一抹の不安も抱えながら。

10年前は食事してセックスしかしなかった私たちが、40を超えて20代のような凡庸で微笑ましいデートをしている。好きな人がやっと私だけに向き合ってくれている、私を大切に扱ってくれているというシンプルな事実に幸せを感じた。

しかし元来自己肯定感が低く、鬱屈した感情を抱きがちな私は、彼の愛情に疑念や不満を抱き始める。

私はあくまでカジュアルな付き合いをする「カノジョ」であって、実生活を共に送る覚悟などないのではないか。私だから、ではなく、私しかいないから妥協して付き合っているのではないか。
このままカレシカノジョの軽い関係でいくと、数年で愛は覚め、終焉を迎えるのではないか(だから皆結婚という契約を結ぶのかもしれない)。私は所詮彼の一時的な退屈凌ぎなのではないか。

自分でもコントロール不能なほど心がかき乱され、カオスな状態になる。疲労が激しい水曜や木曜はそんなネガティブ思考に陥りがちだ。
好きなのに寂しくて孤独で不安。これがいわゆるこじらせ(中年)女子か。相手への期待、依存、執着が止まらない。

つい先日も、仕事でかなりのストレスを抱えている最中、親身に話を聞いてくれた彼に向かって、私は酷い言葉を彼に放ってしまった。
彼を傷付けると分かっていながら。
しかし、ずっとモヤモヤしていた事実を。
「私があの時選ばれなかったのは仕方ない。容姿も性格も能力も彼女よりきっと劣っていたのだろうから。でも私はずっとあなたを好きだったし、結婚を聞いた時マジで傷付いた。だから聞きたい。当時の私はあなたにとって何だったの?!」

やぶれかぶれな精神状態だった私は、しかし冷静にそう告げた。果たして彼の答えは、
「お互いを高められる関係性だったと思う」
だった。
いやいや、そんな美談で済ませないでよ、と私は叫んだ。彼の中では私をセカンドとして弄んだなどという気持ちは本当にないのかもしれないが、私たちが誰にも言えない秘密の関係でコソコソ相引きしていたのは紛れもない事実であり、そこに彼の私に対する敬意はなかった。これをなかった事にして、私をずっと好きだったなどと語るのは自己欺瞞ではないか。
本気を出して彼に引かれてしまうのが怖かったが、半ば自棄になりながらも私ははっきり彼に伝えた。
彼は歯切れが悪く、私の率直で非礼な物言いにややショックを受けているようだったが、その場で素直に謝ってくれた。
惨めさを晒すのは恥ずかしかったが、私たちの関係を本物にするには、過去に言えなかったモヤモヤや遠慮を排除しなければならない。
もちろん相手の気持ちを蔑ろにしてはいけない。自分が傷付いたから相手にも同じ苦痛を味わせてやるといった復讐心を持って攻撃すべきではない。好きな人を尊重する気持ちは常に持ちながら、自分の思いはちゃんと伝える。感情的にならず冷静に。

理性的で情が深く、器の大きい彼だからこそ、私は自分の気持ちをしっかり言語化して説明したいと思っているし、きちんと伝えれば必ず理解してくれる信頼感がある。

自分の思いをぶちまけた翌日は、カタルシス気味でやや気持ちが軽くなったのを感じた。
こんな面倒くさい私にそのうち辟易しないかという新たな不安も芽生えているが、正直な思いを伝えられた今は、私が主体的に恋愛に関わり、理想としている対等な関係により近づけられているという手ごたえのようなものを感じている。
子供との関係や自由に会えないなど様々な障害はあるが…。
それはまた別の機会に。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?