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お母さんに会いたい(君たちはどう生きるか映画ネタバレ)

ジブリの最新映画を観てきました。取り留めのない感想です。ネタバレます。散文。
全てうろ覚えの初見時記憶です。



前提。
極力何も考えないでただ観ようと思って行った。メタファーとか、宮崎駿節とか考えない。行こうかな、と思って14日の6時にチケットをとって、9時に観た。

導入だけ、ちょっと。

うつくしい少年

が、母を業火でうしない、湖のほとりにあるお屋敷へ引っ越してくる。
父は兵器工場の経営者で、母の妹と再婚しようとしている。実母と瓜二つのまま母はすでに身ごもっており、お屋敷に向かうリキシャでまま母に手を取られて腹を触らされた少年は、戸惑って見えた。まだ、母がこの世から失われたことが、腑におちずにいる。

初めて入った大きなお屋敷で、彼の目の前に青鷺が現れる。
どうにも不穏な様子で少年の元へにじり寄る青鷺はいう。
「お前の母親は本当に死んだのか? だって死体も出なかったじゃないか」
お屋敷の婆たちは声をひそめて噂をする。

「坊ちゃん、お母様に瓜二つだ。変なことが起きなきゃいいけど」


そろそろ感想を。

お話は、ついていくのがちょっと大変だった。
私はすぐにチャキチャキの女漁師がキリコさんだってわからなかったし、鳥のこともちょっと気味が悪いと思った。そういう意味では、「考えない」と思っていてもストーリーラインを追うのに必死だったと思う。夢中ともいう。
海のルール。
「ここは死んでいる人の方が多い」、でも落ちてきたばかりの少年は

「死の匂いがプンプンする」。


「死んでいる人は殺生ができない」だから「キリコさんがとってきた魚を分けてもらおうとする」。
生きている少年に対して、死の匂いがする、という。私には、母との死の縁がくっついているように思えた。人は、身近な人の死を目の当たりにした時にその人との間の縁のおかげで「死に縁がつく」。ちょっと振り返れば、故人がいた位置に死の扉がある。

でも、大叔父様に会って異世界の仕組みが明らかになってきたあたりからストーリーラインがはっきりしてきた(私の理解が遅いのよ)

お父さんが愛するなつ子さんを、現実の世界にかえす。

そのために、火をあやつる明るい少女「ひみ」と協力をしないといけない。
ひみは、なつ子さんのことを妹だという。

ここで、お屋敷の婆から聞いた話が蘇るのだ。
「坊ちゃんのお母様も、若い頃にヒョンといなくなってしまった。山も湖もずいぶん探したけれど見つからなかった。けれど、一年たってお母様は山から元気に戻ってらした。いなくなった時と同じ格好で、何も覚えていなくて。」

ひみは、少年の母であった。

それだけではない。
少年が異世界で出会った「ひみ」は、母が昔、神隠しにあっていた母であった。

異世界では、火をあやつり、ペリカンたちを追い払うひみである。
このあと、少年を産み育て、病にふし、入院した病院の火事に巻き込まれて死ぬさだめの母である。

少年は、世界のあるじになる大叔父からのたのみをしりぞけた。
異世界が終わろうとしている。崩れ去る石の帝国、「墓と同じ」石の世界を逃れて現世への扉に手をかけた時、ひみは少年とは別の扉に向かった。
少年はいう。「そっちに行ったら、火事で死んじゃう。一緒にこっちに行こう」
ひみは笑ったまま返す。「炎なんてへっちゃらよ」

そうして、母は遠い日、神隠しから帰ってきた日の扉をくぐり、
少年は自分が引っ越してきたばかりのあの日へつながる扉をくぐった。

少年は、扉をくぐったあとも墓石の世界のことを覚えている。なぜなら向こうの世界から持ってきたものがあったから。母と過ごした冒険の時間を、現世へ持ち帰った。

では、ひみは?
婆たちが話したことには、
「一年たってお母様は山から元気に戻ってらした。いなくなった時と同じ格好で、何も覚えていなくて。」
ひみは、きっと覚えていなかった。何も持ち帰らなかった。ものは。

母からのメッセージ

けど私は思うの。
少年が本を読んだ場面のことを。
引っ越しで持ってきた本の山から、少年は故母のメッセージが書かれた本を見つけたよね。

「大人になった眞人さんへ 母より」

という。うろ覚えだけど文意はそんなずれてないよね?

少年は、母が死んで初めてそれに気がついたし、それからすぐに読んで、涙して。
その本が『君はどう生きるか』なんだわ。
直後に、まま母の失踪からの少年自身も異世界に行くことになるから混乱してしまうのだけれどね、あの故母のメッセージはおかしいよね。
自分が死ぬことを知ってる。
死んだ後の眞人さんへ向けて、本を残している。

だから私は思う。
ひみは、異世界からモノを持って帰らなかった。だから何もかもを忘れていた。
けれど、

「マヒト」という名前を覚えていた。

だから自分が子を産み、この人はマヒトだ、とわかったところで、
自分が神隠しに合っていた間のことも、マヒトとの冒険も、これから自分が炎に焼かれて死ぬことも、全部わかった。
それで、いつかあの日の「ひみ」に出会う自分の子どもへ本を残した。
『君はどう生きるか』をね。

なんなら、病院の火事はひみ自身がひもとの可能性もある。
因果というか、なんというか。
だから、冒頭の繰り返しで恐縮だが

ひみはマヒトを残して、遺体も残さないほどに燃えて死んでいく

わけだけど、
あのお屋敷へマヒトが引っ越して、マヒトが神隠しに遭うまでの必然であったのかもしれない。

私は、駿がこの作品を残して死ぬのだと思うとさみしい。

ナウシカが放映されたのが、1984年。私は生まれたのが1985年なので、生きてこのかたジブリの作品が世に出されるのを映画館で見るネイティブ世代だった。
母と初めて映画館で観た映画は、おもひでぽろぽろだった。母が、「あなたと映画を観られる日が来るなんて嬉しい」と帰り道に泣いたのをよく覚えている。

その駿が、たくさんの世界を見せてくれた駿が、
人間だから、もうすぐきっと旅立つ。その時に、とてもさみしい。嫌な想像すんなよって自分でも思うんだけど、おばあちゃんやお母さんが死ぬ日のことを想像して苦しくなるのと同じように、さみしい。
でも死ぬことは、ただ死ぬことではないと、じんわりしみてくるものがあったから、
さみしい、を、「いやだ」と混同してはいけないのだなあと思ってる。
今生きているから、死の匂いがいっぱいする。死んで殺生がなくなっても、いつかまた会える。そういう気持ち。

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