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この時を生きている。

令和5年、11月6日月曜日。
今、私はこの時を生きている。

いつからだろう?どうしてだろう?
わりと秘密主義な性格な私が
自分の感じたこと 思ったこと 出来事を
外の世界に出したくなったのは。
Twitterが普及し始めた頃、私は働いていた。
自分の考えを外に出して周りに伝わる為の努力をして実行して結果と成果を出す。この繰り返しの毎日。
Twitterには興味もなく、呟く暇があるなら目の前の人間に話しかけていた。聞いてもらっていた。
それだけで充分だった。
見知らぬ世界に呟く暇がなかった。

そして仕事を辞め、結婚して子供が生まれ世界は変わった。
毎日ほぼエンドレス365日家族だけの世界へと。
その時は子育てに家事に私なりに必死にやっていたから気付かなかった。
でも子供達が歳を重ね全員小学生にあがった今、出来てくる少しの余裕。
そんな時にいきなり、せき止められていた証人欲求みたいなものが溢れ出てきて、自分でも扱いに困っている。

承認はいらない。
証人が欲しい。
たった一人でもいい。
今、この瞬間を生きている私を証人してくれる人。
でもそれは、家族以外の人がいい。

こんな気持ち。
なんでだろうってずっと疑問だった。
考えてみたら、私はこの十年近く子育てをしながらほぼ家族オンリーの
狭い世界で携帯を覗いては誰かの証人になっていた。
TwitterはやらなくてもInstagramは見る専。
見ているだけで、「いいね」も押さない。
気付くとちょっとした暇があると覗いていた。
はい、その時点で私は誰かの証人
相手が私を知らなくても。
そんな現実が常で。
誰かの日常を見て、誰にも見せない自分の日常。
(でもそもそも見せる、見せないとかないはずで)
知らぬ間に見ることばかりに慣れちゃって
無意識のうちの蓄積な気もする。
これは時代の産物なんだろか?

そしてこんな私の勝手な思考も日記帳に残せばいいだけの話。
だけど見知らぬ世界に差し出す私。

一つ言えるのは。。。。。
定まらず、今日ももがいて生きている。。。

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