見出し画像

「エモい」の正体

突然だが、私は「エモい」という言葉が苦手だ。
自分でも極力使わないようにしている。

ライブハウスの最前でそのバンドの代表曲を聞いた時、
単館映画をレイトショーで見た時、
何かをサボりながらする平日デートの妄想をした時、
蝉の音を聞きながら夕日を見た時、
缶ビールを飲みながら部屋着で夜の静けさの中を散歩をした時…

言葉に出来ないぼんやりとした感覚が現れ、でも心の中ではアツくいいねと思う時、人はざっくりと「エモい」という言葉を使う。

しかし、言葉に出来ないグッときた気持ちを「エモい」の一言で片付けてしまうのは勿体ないと思うのだ。

もちろん私も所謂「エモい」という感覚はわかる。
苦手と言いながらもたまに心の中で「エモい」と感じることもあるし、その感情に対して即座にアウトプットしなければならない時は使うことさえもある。

それでも「エモい」という言葉を使うと、(ああ逃げてしまった…)と感じてしまう。

それは私の思う「エモい」が、目の前の事象と自分の中の思い出がリンクして、その事象がきっかけで思い出がぼんやりと想起される時に使いたくなる言葉だからだ。

大切な、それこそ言語化出来ない小さくて深い思い出を「エモい」という万人共通言語でまとめられてしまうといきなり思い出自体が陳腐に感じてしまうから使いたくないのだ。

ゴディバのチョコがどこのコンビニでも買えるようになってしまった悲しさや、好きだったインディーズバンドがメジャーデビューして曲調がキャッチーになった時の悲しさや、お気に入りの隠れ家カフェがめざましテレビで取り上げられた悲しさに似ている。

「エモい」という言葉には、その事象の価値を陳腐にさせてしまう力がある、気がする。あくまで気がするだけだが。

「エモい」に逃げず、きちんと言語化できる語彙力を増やしていきたい。

これからも頑張ります!